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第65話

「あーあ、見事にぺしゃんこじゃねぇ」 昨夜の雷で裂けた木は小屋を完全に押し潰していた。だがすぐ傍にある佐助の畑にはいくらか大きな枝が倒れ掛かっているものの、大方は無事だ。 木の根元の周りは少し焼けた跡があったが、豪雨のおかげですぐに火は消えたらしく被害は少なかったようだ。 佐助は嵬仁丸に手伝ってもらい、壊れた小屋の板を少しずつどかせてなんとか(なた)を見つけ出した。 「はあ、これで取り敢えずはなんとかなる。力持ちさんのおかげで助かったぁ」 「それだけでよいのか」 「これがあれば、少しずつでも木の枝をはらったり板を割ったりして、そのうち(のこ)やら鍋も取り出せるじゃろ。ああもう、汚れ放題やね。嵬仁丸様、いっぺん水浴びに行かん?」 二人とも汗とぬかるんだ土でどろどろだった。 沢に着くと佐助はさっさと着物を脱ぎ始めた。 「嵬仁丸様のも貸して。先に洗って干しとけば、今日は風もあるしすぐに乾くじゃろ」 嵬仁丸はぐるりと回りを見回している。 「こんなとこ、人なんか来んよ?」 佐助は笑ったが、嵬仁丸は「お前たち、しばらくこっちを見るでない」と言葉にした。 「ふふ、獣たちに言うたん?恥ずかしいん?」 「私ではない。お前を見られたくないのだ」 「あははは。そんなん、おら今まで毎日ここで水浴びしてきとるのに今更じゃろ?暑いときなんか日に二度三度沢に入るんで、婆様に『お前は河童か』って言われ……うわっ」 ふと自分の胸元に目をやって佐助は仰天した。 「え、これ……なんね?」 改めて着物の袖を抜き全身を見回すと、体中に赤い花が散り所々に歯型までついている。嵬仁丸の家で着替えたときは薄暗く、まさかそんなものが自分の体にあるとは思っていなかったので少しも気が付いていなかった。 「……すまぬ」 もし今、狼の姿であったならきっと耳をぺしょりと下げているのであろうという顔だ。昨夜時々ちりっと肌が感じていたのはこれか。 「お前があまりに美味そうで……」 「ほんとに食わんでもいいじゃろ」 「雄は自分のものだと印をつけたくなるのだ。だが、嫌ならもうなるべくせぬ」 「なるべく、なん?」 佐助が苦笑すると、早くこっちへ来いと水際の方へ手を引く。 「あ、ちょっと待って」 髪を結わえている緋色の組紐をほどいて、傍の小枝に二重にしっかりと結びつける。 「随分頑丈に結わえるな」 「だって、嵬仁丸様に貰うた大事なもんじゃもん。風に飛ばされたり(からす)に盗られたら嫌じゃから。あいつら綺麗なもんが大好きな上に利口で器用なんよ」 佐助の手が組紐から離れるやいなや、嵬仁丸がその体をひょいと抱き上げる。驚く佐助に「掴まっていろ」と言って、そのままじゃぶじゃぶと沢の中へ入っていく。そしてなるべく深いところを探って身を沈めた。 「もしかして、見えんように隠しとるん?ふふ、今更じゃって。もうおらが嵬仁丸様の番なんはみんな知っとるんだし、これからだっておらはここで水浴びするし」 「ああ、そうだな。しかし、今のその体は艶めかしすぎる」 「ふふ、自分でつけたくせに。他の雄にわかるように印を付けたんでないん?だのに隠すん?」 嵬仁丸は「まったくだな、私にもよくわからん」と笑いながら佐助の顔についた泥を洗い流してやる。 「別に付けたかったらいくらでもおらに印を付けたって構わんよ。だけど、そんなことせんだっておらはもう全部嵬仁丸様のもんじゃ」 同じように嵬仁丸の顔の泥を洗い流していた佐助の手を掴み、嵬仁丸が唇を寄せてくる。 「ふふ、こんなところで盛ったら、隠しとる意味ないやね?」 「少し戯れるだけだ。それに……もう今更であろう?」 にやりと口角を上げた嵬仁丸が佐助の口を塞ぐ。佐助もそれに応えながら両腕を嵬仁丸の首に絡める。 さらさらと水が流れる音と時折チチチと鳥の鳴く声だけが聞こえるなかで、佐助の白い髪と嵬仁丸のしろがねの髪が澄んだ水の中にゆらゆらと揺蕩(たゆた)っていた。

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