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第68話<盲目の少女>

佐助と嵬仁丸が番となって幾年。山では穏やかな暮らしが続いていた。 獣たちからは広くおしどり夫婦として知られ、佐助も親しみを持って話しかけられることが増えた。今ではかなり思念で獣や鳥とやり取りができるようになった佐助は時々自分が人であることすら忘れてしまいそうになる。 多くの獣の思考はしごく単純だ。食べる、寝る、子孫を遺すが大きな欲求でそれらが満たされれば皆機嫌よく生きている。日々、命のせめぎあいの中に生きていても、我が子やもっと言えば己ですら捕食者に喰われることになっても、痛い、怖い、苦しい、悲しいなどの感情が一時(いっとき)は生まれはするものの、ちゃんとこれが自然の(ことわり)だと理解していて泰然とそれを受けいれる。だから獣たちが死ぬときに鬼が生まれることは殆どない。 狼や猿、(からす)や、(わし)(たか)になると利口な分もう少し複雑だが、それでも彼らには嘘がないし無駄な殺生もない。 嵬仁丸は変わることなく佐助に愛情を注ぎ続け、佐助も嵬仁丸の笑顔を見るたびに幸せだと感じる。心穏やかに過ぎていく日々に、佐助はこの暮らしこそが理想なのではないかと思うようになった。 だがその年の梅が咲き始めたころから、鳥や獣が一斉に落ち着きを無くすことが度々起きた。 獣たちに聞いてみれば、山や大気が震えていると口々に訴える。佐助には感じられぬが、獣たちの感覚は人よりもずっと鋭い。 嵬仁丸は、地震の予兆でなければよいがと厳しい顔をしていた。渡り鳥たちに聞いた話では地震というのは立っていられぬほど大地が揺れ、地割れを起こし、大きな山をも崩すことがあるという。だが心配したところで、風雨や陽気と同じでどうすることもできない。ただ、平穏無事を願うばかりだ。 「きゃああっ」 畑からの帰り道、佐助の耳に甲高い叫び声が飛び込んできた。 何だ? 声がしたのはおそらく神社の方角。気になった佐助は確かめようと静かに山を駆け下りた。 木立の間から窺うと、神社への参道の石段に倒れている女子(おなご)がいる。階段を踏み外して転んだか? 起き上がろうとしている動きからは大きな怪我はしていないように見えるが、どうにも様子がおかしい。手でしきりに石段をぺたぺたと探っている。 ……もしかして目がよく見えていない? 更に様子を窺うと、ずっと下の段に棒切れのようなものが落ちている。転んだ拍子に杖を落としてしまい、探しているのかもしれない。もし目が悪いのだったら、あんなに下にある杖はとても見つけられまい。佐助は杖を拾ってやることにした。 その前に。 「三日月、どうやら神社にきたもんが転んだだけみたいじゃ。心配することはなさそうだ、もういいぞ」 自分の背後にいつの間にか控えていた若い狼に声を掛けてやると、三日月はオンと答えて木立の中へ戻っていった。 まず下へ降りて杖を拾い、石段を上がる。いくらも近づかぬうちに、女子(おなご)が「誰かおるん?」と顔を上げた。だがその顔は少し見当違いの方を向いている。やはり、目が見えないのか。 「転んだんね。この杖はお前さんのん?怪我はしとらん?」 声で佐助の在り処がわかったのか、顔をついとこちらを向けた。そして、まだ幼さの残る顔をほっとしたように緩めた。 「あ、おらの杖、拾うてくらさったん?助かりやした」 ぺこりと頭を下げる女子(おなご)の手に杖を持たせてやった。

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