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第73話
「おらは、どうしたらええんかな」
その夜、嵬仁丸 の腕の中で佐助は呟いた。
「百日参りを続けさせんほうが良かったんかな。たった一人の恨みや憎しみからでもそれが他のもんに伝染 って、昔みたいなことになったりするじゃろうか?もっとも今は嵬仁丸様が鬼を里から遠ざけとるから、人心に不安や不穏がはびこってはおらんじゃろうけども」
「人は獣以上に群れる生き物だからな。大きな渡り鳥の集団のように、先頭の向かう方向が変わると一斉にそれに倣う。鬼がおらずともこのところの揺れが酷くなって里のものたちが気付くほどになったらどうなるか。だが、もうお前は始めてしまったのだ。今更、悔いても遅かろう」
嵬仁丸の言葉に棘とまではいかなくても少し引っ掛かりを感じて、その瞳を覗き込んだ。
「おらの考えが足りんかった?そんで、嵬仁丸様はそれを怒っとるん?」
「いや……そうではない……。佐助の言う通り、人は足りぬものを補い合って生きていけるのだろう。
…………お前がおしのを補ってやれば……おしのはお前の見た目など気にしておらぬし、慕っている。二人で支え合えばいずれ子供も持てるやも……」
佐助は驚いて跳ね起きた。
「どういうこと?おらは嵬仁丸様の番じゃろ!?言うとることが分からん」
嵬仁丸は寂し気な表情を浮かべ、佐助の頬を撫でた。
「私は早まったのではないか。己の欲を優先してお前を番にしてしまったが、私がそんなことをしなければお前はちゃんと人の女子 と夫婦 になれたかも知れぬのに……私がその道を奪ってしまった」
「なんっ!……嵬仁丸様、それはあんまりじゃ。おらと嵬仁丸様が番になったんは間違いじゃったって、そう言うん?ちゃんとって、人同士で番うのが普通じゃから?そんならおらの気持ちはどこへいったん?おしののことは可哀そうじゃと思っとるだけで別に好いとるわけでない。おらが何より大切なんは嵬仁丸様じゃ。そんなん分かってくれとると思うとった。あんまりじゃ」
「……すまぬ」
「どういう意味のすまんじゃ?添い遂げるって、おらの魂食って永遠に一つになるって約束したじゃろ」
嵬仁丸は佐助の腕を引き胸の中に抱き込んだ。
「……すまぬ」
それきり黙ってしまった嵬仁丸は、まるで佐助を自分の胸の中の閉じ込めるかのように腕を回してきつく抱きしめた。
激しく憤慨していた佐助だったが、温かい腕の中で力強い嵬仁丸の鼓動を聞き続けるうちに次第に心が凪いできた。
おらも悪かったよな。嵬仁丸様の独占欲の強さは今に始まったことではない。それは嵬仁丸様に流れる狼の血のせいもある。眷属 の狼たちを見ていても、番に対する執着の強さと愛情の掛け方には驚くことも多い。
それなのにおらはこのところ頓着せんと、おしのの話ばかり嵬仁丸様の前でしとったんではないか?おらからしたらおしのはまるで子供だし、なんら疚しいことなんかないけども、毎日参道で会うとったわけじゃし。それがまるで嵬仁丸様のことを二の次にしとるように感じたんかもしれん。
嵬仁丸様は独占欲をおらに見せながらも、どこまで許されるかを試しとるようなところがある。おっ父様がおっ母様への異常な執着のせいで鬼になってしもうたと思うとるから、いき過ぎんよう抑えねばならんと感じとるんじゃ。
じゃからこそ、おらが安心させてあげんといかんのに。ないがしろにしたつもりは毛頭ないけども、このところのおらは、嵬仁丸様は分かってくれとると、ちいと甘え過ぎとったかもしれん。
朝になったら謝ろう。
嵬仁丸様はいつもなるだけおらの心や頭は読まんようにしとる。それは前に言うとったように、人の言葉の意味をようわかっとるから。おらの人としての部分を重んじてくれとるから。じゃから、ちゃんとおらの考えを言葉で伝えて、謝ろう。
佐助はそう心に決めて、ようやく眠りに落ちた。
目覚めたとき、いつもと違う朝がやってくるとはつゆも知らずに。
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