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第82話

大勢人が待ち構えているところへ生贄として引き渡される前に逃げる方がまだ可能性がある。そう思って縄を解くことが出来ないか必死にもがいてみるが、きつく(いまし)められた荒縄が肌に食い込み傷から血が滲みだすばかりで一向に緩まない。 獣とやり取りするように、庄屋以外の男たちに思念を送れないか探ってみたが、彼らの頭の中には雑多な言葉がぎゅうぎゅう詰まり、心の方にはもやもやといろんな色が複雑に混じり合っていて、読み取ることすら出来なかった。 馬に自分を乗せたまま暴走させる?だが、この馬は庄屋のことを自分の主人と認識している。佐助の言うことを聞く義理はないだろう。 望みは薄いが代官や郡代、神官を説得するしかないのか。人足たちに不安が蔓延っているようだから、彼らにも聞こえるように訴えて動揺を煽る?だが彼らは連れてこられた生贄が人柱になってくれるほうが自分たちの身が危険から遠ざかると考えるはずだ。 追い詰められ焦る中で、もう一つ佐助の中で判断がつきかねている問題があった。嵬仁丸へ新たな知らせを届けさせるか否か。 人柱を埋めるのが早まったと改めて(からす)を飛ばしても、嵬仁丸がその伝言を聞くころには自分は土の中でもう息をしていないだろう。だが知らせを受けた嵬仁丸はきっとこちらへ来てしまう。怒り狂った嵬仁丸の姿を衆目に晒してしまうことはなんとしても避けなければならない。そんなことをしたら、人はきっと嵬仁丸に(やいば)を向ける。 嵬仁丸様を絶対に鬼なんぞにさせられん。元々、おらと嵬仁丸様では生きる長さが違う。おらが先に死ぬのは決まっとったことじゃ。それが少し早まっただけじゃ。ただ……おらの最期に魂を食うてもらう約束は果たせんなぁ……嵬仁丸様、おらがへまをしたせいで約束を守れんでごめん。 そうじゃ、髪に結わえとる組紐を烏に届けてもらおう。渡せんかった魂の代わりにこの緋色の組紐をおらだと思って嵬仁丸様の傍に置いてもらえば、いつも一緒にいられる。 おらは優しい嵬仁丸様が大好きだったんじゃ。人を恨んで憎んでさまよい続けるような嵬仁丸様は嫌じゃ。哀しすぎる。 だからどうか……おらが死んでも決して鬼になったりせんで。 嵬仁丸様……おら、本当に嵬仁丸様に出会えてよかった。嵬仁丸様と知りおうてからは楽しゅうて堪らんかったよ。特に番になってからは毎日が幸せで幸せで。ずっと笑って暮らしとった。 嵬仁丸の雄々しい狼の姿やいつも触れていた艶やかな毛並み、人の姿の時の凛々しい顔つきや少しはにかんだような微笑みを思い出す。 ……ああ、それなのに(ゆん)べはあんなことになってしもうたんじゃった…… 番になって初めて言い争いのようになった昨夜のやり取りを思い出して切なくなった。 こんげなことになるなら、あんなにきつう言わねば良かった。夕べのうちにちゃんと謝っておけばよかった。 おら、なるべく長生きして、最期に一生分の感謝の言葉を添えておらの魂を嵬仁丸様にあげたかったんよ。それがまさか、こんなかたちで終わることになるとは考えとらんかったなぁ。今までだって命の危機は何度もあったけども…… そこまで考えて、佐助の中で何かがぴくっと反応した。

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