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第87話
「少しよろしいかな」
人垣を割って二人の帯刀した男が代官の方へ近づいてきた。後ろに控えている方の男は先程馬で儀式を早めることを伝えに来た者だ。ということはもう一人は普請の任を追っている武家か。
衆目を集める中、その男と代官が何やら言い合いを始めた。
「勝手なことをされては困る」
「人柱の用意を頼んできたのは貴殿であろう。これはこちらの……」
「郡代様が……」
「このところの人足の騒動が……」
なんだなんだと人垣が騒 めき始める。その隙に庄屋が佐助に小声で詰め寄ってきた。
「お前、いったいどういうつもりじゃ!何が人柱の役目が分からんじゃ!何を企んでおる」
流れでこの場から去ることが出来なくなった里の男たちも目を三角にしている。
「さっさと引き渡して帰るつもりじゃったのに、余計なことをしてくれて!」
「おらは当然のことを訊ねようとしとるだけじゃ。なにしろ、こっちは大事な命が掛かっとるんじゃからな」
そう言ってぎろりと睨み返すと、男たちはぐっと押し黙った。
やがて「静まれ、静まれ!」と、先程の控えていた武士が一歩前に出てきて群衆に向け声を張り上げた。いつの間にか周りを取り囲む人垣が大きく膨れ上がっている。
「これより神事を執り行うための支度 に入る故、本日の普請 の作業はこれにて終いとする!職人、人足たちは飯場 に帰ってよい。ただし持ち場が『二の“い”』の人足は役目があるので持ち場で待て!」
『人柱を埋める役か』『ああ、おっかねえ』『誰か替わってくれんか』
人垣がどよめく。
「見張りの者たちは、ここに残れ。今から、残りの生贄を連れてきて宮司殿から釈義を受けさせる。その後、川へ禊 に連れてゆくのでそれを手伝え。手の空いたものは宮司殿の指示を仰いで祭壇を整えろ」
しかし、見張り役たちが「帰れ帰れ」と人払いをしても、その場を離れようとする者は誰もいなかった。
やがて、ざわざわとさざめく人垣を割って3人の生贄 が連れてこられた。縺 れる足で引きずられるようにしてやってきたのは目を真っ赤に泣きはらした若い女とそれよりさらに若い娘っ子。若い女は「どうかお助けください!まだ乳飲み子がおるんです!」と半狂乱になって叫び続けている。もう一人はまだ5つか6つにしか見えないぼろぼろの野良着を着た少年。みなしごか口減らしにされたのか。あまり自分に何が起きているのか分かっていないようで不安げに周りをきょろきょろと見回していたが、佐助の姿を見ると驚いて尻もちをつき、泣き始めた。
生贄たちの姿に野次馬たちの騒 めきはさらに大きくなった。人の輪の中では生贄たちが泣き、代官たちはまた「とんだ騒ぎになった」「良い見せしめになろうが」「神官が上手く言い包めればこれからやりやすくなる」などと言い争いを始めている。
そんな周りの喧騒をよそに、佐助の頭はこれからのことを冷静に考えていた。
アマツバメはもう嵬仁丸様のもとへ辿り着いただろうか。知らせを聞いたら嵬仁丸様は間違いなくこちらへやって来る。どういう形で落ち合えるだろうか。さすがに狼の姿でこの衆人の中へ飛び込んでは来ることはできないだろう。神官とのやり取りが終われば、生贄たちはすぐそばを流れている川へ連れていかれ体を清められるようだ。そのときはさすがに皆ぞろぞろとついてはこぬだろうし、警備も手薄になるかもしれない。清める際に腕を縛っている縄を一旦解く可能性もある。その時が狙い目か。しかしいくら神官とのやり取りを引き延ばしたとしても、禊までに嵬仁丸様がここへ到着するのは厳しい気がする。
では、神官による祈祷 が終わって、生贄が人柱として石垣の四隅に埋められようとするときはどうだ?4人同時に行われるなら当然人手も分散されて、一か所の頭数は限られる。その時が好機ではないか。
ただ、このことを嵬仁丸様に知らせる手段がない。どうしたものか……。
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