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第88話
そうこうするうちに神官が連れてこられた。黒い冠 に白い袍 と袴 を身に着けた初老の男だ。
代官が床几 から腰を上げることなく声を掛けた。
「宮司殿、その者が良き人柱になるための心得 なぞを訊ねたいのだそうだ。御領主様のために、その者たちには立派な石垣の礎 になってもらわねばならぬ。善き導きをしてやってくれ」
神官はすこぶる不機嫌だった。ただでさえ此度 のような祈祷は生贄たちの泣き叫ぶ声を聞かされるかと思うと辛気臭くて気が乗らぬというのに、明日の予定であった儀式を急遽今日行うことになったと突然迎えが来た。まったく勝手なことだ。神事を執り行う前には祓 をして身を清めたり、こちらには色々と準備があるというのに。慌ただしく支度を整え駆け付けたかと思えば、今度はなんだ。人柱になる生贄どもに心得を説けだと?どうせあと一刻もせぬうちに死ぬ輩 どもではないか。侍どもは神に仕える我々を軽く見てはいまいか。こちらは領内でも最も位の高い宮司だということを忘れてもらっては困る。
取り澄ました顔をしつつも内心うんざりしながら居並ぶ生贄たちに向き合い見下ろした宮司は、佐助の強い視線を正面からくらってぎょっとした。
なんだこれは!尋常ならざる姿形 に加え、その体の周りからゆらりと立ち上っているかのような気迫を感じ、宮司はごくりと喉を鳴らした。こやつは本当に人か?太平の世が長く続いているせいで昨今の武士 からもこのような気を感じたことがない。
だが当の奇人は口を開くと、のんびりともとれる口調で声を張り上げ話し始めた。
「神官様、ここにおる4人は人柱という大層なお役目を言いつかりました。けんども、おらはずっと山で暮らしてきたもんで人の世に疎うて分からん事ばかりなのです。どうか、このお役目について教えていただきとうございます」
こやつはただの白痴 なのか?ただならぬ気配と感じたのは山育ち故の野生の気か?
「この国は神の国である。この国は神が創られたものであり、古 より神の守護のもとにあった。森羅万象に神々が宿っており、我々は皆、神によってこの世に生かされておる。此度 、領主様の築城にあたり我々は難事を抱えておる。そこで神からのお力添えを賜わるようお願いを申し上げるのだ。偉大な神に願い事をするのだから我々は精一杯の貢物を献上せねばならぬ。お前たちは神への尊い捧げものという大役を仰せつかったのだ。御霊 が神のもとへゆくのだ。無事堅固な築城が叶った暁には御領主様も喜ばれお前たちの犠牲に大層感謝をされることであろう。その名誉に恥じぬよう心静かにしてお役目を全うするように」
宮司はもったいぶった口調で朗々と述べた。人垣は静かになり嗚咽を漏らしていた生贄の女子 たちも項垂れている。ふむ、こんなものでいいだろう。
だが、例の奇人がまた声をあげた。
「やっぱりよう分かりません。神様は一人ではのうて数え切れんほどおられるということですか?」
「そうだ。この国には八百万 の神がおられる」
「そんでは、その中のどの神様にお願いをするのです?神官様はすべての神様を存じ上げておられるのですか?」
なんじゃと?予想外の問いに宮司は思わず眉間にしわを寄せた。
※床几 ……屋外で使われる折り畳み式の腰掛け
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