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第92話
「怯むな!捕らえるのが無理なら切れ!」
代官に活を入れられ、一人の武士が進み出て刀を振りかざした。が、それを振り下ろすより早く嵬仁丸に飛び掛かられ、どうと仰向けに倒される。刀を持つ手を嵬仁丸の太い左前脚にがっしり押さえつけられ動きを封じられた。嵬仁丸が右前脚を侍の胸の上に置き、くわっと口を開いた。
『嵬仁丸様!殺したらいかん!』
殺したら駄目じゃ!人と嵬仁丸様との戦いになってしまう!
だが嵬仁丸は動かない。あたりに漂う土埃のせいで精気の光の玉はここからでは見えない。止めようと佐助が駆け寄ると、嵬仁丸は前方を警戒したまま侍から脚を下ろした。
『心配するな。殺してはいない。だがしばらくは動けぬだろう』
精気を全部は吸い切らなかったということか。改めて倒れた侍を見ると、大の字になったまま眠っているように見える。ほっとしたのも束の間、別の侍が切り掛かってきた。しかし、嵬仁丸の動きの速さにはついていけずあっという間に倒され、一人目の二の舞となった。
倒れたままピクリとも動かなくなった同士を見て「やはり獣魔じゃ!」と武士たちの間に動揺が走る。
『嵬仁丸様!これ以上嵬仁丸様の力を見せては駄目じゃ。ここまでならまだ奴らが怯えて気絶したで通せる』
嵬仁丸が大きな咆哮をあげると行く手を阻んでいた者たちが後じさった。今のうちにここを通り抜けて森までゆかねば。ふたりは駆けだした。
誰かが「まず白い男を狙え。そやつはきっと非力じゃ!」と叫んだ。武士たちがはっと我に返ったように一斉に佐助を標的として取り囲むように動き始めた。
必死に駆けたがあと少しというところで壁を突破できず、行く手を阻まれてしまった。背後からは追っ手の侍たちが迫り退路も断たれてしまう。やがてぐるりと回りを取り囲まれてしまった。嵬仁丸が佐助を庇うように立ちはだかるが、背後が護 れない。武術の心得も無ければ棍棒 の一つも持っていない丸腰の佐助に、侍たちは剣を構えてじりじりと間合いを詰めてくる。嵬仁丸が動いて少しでも隙が出来れば佐助に切り掛かって来るに違いない。張り詰めた空気に、佐助の額からつーっと汗が流れた。
「うわぁっ!」
「ぎゃあ!」
緊迫した状態を打ち破ったのは突然の叫び声だった。驚いて声の方を振り返ると二人の武士が倒れている。どちらも刀を持つ腕に狼がかぶりついていた。
あれは白雲 と琥珀 !
「お、狼じゃ!!」
誰かが叫ぶ間にも次々とやって来る狼が侍たちに飛び掛かる。
『頸 は狙うな!殺してはならん』
嵬仁丸が獣の言葉で吠える。恐らく狼たちは嵬仁丸と共にこちらに向かっていたが、嵬仁丸の速さについていけず後から追ってきたのだろう。
『佐助、今のあいだに逃げるぞ!狼たちは頃合いを見て引き揚げさせる』
『分かった』
戦時ではないので侍たちは防具を着けていない。狼の鋭い牙が腕や足に食い込み、完全に平静を失っている。
『おかげで助かった!皆、怪我をせんでくれ!』
佐助は嵬仁丸の後について走り出した。
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