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第106話
「嵬仁丸様!今年もおしのからこれが」
神社から月見が原へ上ってきた佐助は風呂敷包みを抱えている。開いてみると、美しい藤紫色の狩衣と藍色の着物が入っていた。
「とても良い色だな。その藍はお前によく似合いそうだ」
「そう?年々、質がようなっとるねぇ。おしのの工房も繁盛するわけじゃ。けども、毎年こんげにしてもらわんでもええと言うとるのにね。いっくらええ着物を貰うても見るんは山の獣ばかりじゃのに」
そうおしのに伝えても、「山の主様と佐助どんは命の恩人じゃから。それに次はどんなのがええかと考えるんは励みにも楽しみにもなっとるんで」と笑うばかりで、日ごろから里の様子を報告がてら神社の裏の祠にせっせと里の作物などを供えてくる。
「命の恩人じゃと、こっちが思うとるぐらいなのになあ」
瀕死の重傷を負って山へ帰り着いた嵬仁丸と佐助の面倒をみてくれたのは、おしのとその母親だった。母も付き添うかたちで百日参りを続ける振りをしながら、ふたりは毎日佐助の小屋へ通い、傷の手当てをし薬草を煎じて飲ませ、貴重な米を持ってきて重湯を作り食べさせてもくれたのだ。
幸い当時の大混乱のおかげで、おしのたちの行動は里のものに取沙汰されなかった。
あの大地震では、普請中の城の石垣が跡形もなく崩れ去っただけでなく、あちらこちらで土砂崩れが起き橋が落ちた。それだけでも大きな騒ぎだったのに、散り散りに逃げ帰った人足や職人たちの訴えた「天の声」や「何かに操られたような虫や鳥の異常行動」の話が尾ひれをつけて瞬く間に広まって、真っ昼間に街道を疾走していた狼の大群や突然現れた熊のように大きな獣の大立ち回りの話はその中にうまく埋没した。
おしのの里でも、庄屋の馬が庄屋ではなく血だらけの怪我人を背に乗せて帰って来たのを見たという者がいた。
だが、地震のせいで水が抜けてしまった田がでたり、あちこちの井戸が涸れたことの方が里のものたちにとって差し迫った問題だったし、翌日になって無数に虫に刺され全身を真っ赤に腫らした姿で帰ってきた庄屋や彦六たちが熱で床に伏し、うなされては「祟りじゃ」「神の怒りじゃ」とうわ言を繰り返すことの方が噂の対象になり、馬上の怪我人の話はすぐに忘れ去られた。
佐助とおしのたちは、佐助が山に戻ったことを人に知られないように、また、嵬仁丸の存在と秘密を守るにはどうすればいいか話し合った。
やはり当分のあいだ、山と里の行き来を止めなければならない。結界を張る案も出たが、不可思議な現象が却って注目をあびてもまずい。佐助は、今まで自分や嵬仁丸が振り回されてきた、人の想像力のたくましさを逆手にとることを思い付いた。
「双子山の鬼」の言い伝えは佐助やおしのの創作だ。馬鹿げた風説でも、人の理解を超えるものをたくさんの人々が実際に見聞きした今なら、ただの噂以上の効果がでるのではないか。
よほどおしのや母親の話し方がうまかったのか、怒らせるととんでもなく恐ろしい鬼の話は、予想以上の効き目があった。佐助の読み通り、想像力の逞しい人間はあっという間に恐ろしい鬼の像を頭の中に作り上げ、話はどんどん尾ひれを付けながら拡 まっていった。そして人々は、鬼が降りてこぬよう山のふもとにぐるりと柵を張り巡らせ、子供たちに決して山には近づくなと言い聞かせた。
それから何十年も経った今では、鬼伝説は近隣一帯に広く知れ渡る言い伝えとなった。おかげで山に人が入ることもなく平穏な日々が続いている。
おしのの母親はとうに亡くなり、今や嵬仁丸と佐助の存在を知っているのはおしのだけだ。だが、おしのは高齢の自分に何かあった時のため、そろそろ新吉にだけは伝えておこうと考えている。山の鬼の秘密と、この領内で『いかなる普請に於いても 人柱を立てること まかりならん』というお触れが出されたいきさつを。
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