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第114話

穏やかな寝息を立てながら佐助が眠っている。 番になった日からずっと、自分の腕の中に佐助がいる喜びを噛み締めてきたが、あの日から更にそれは強くなった。 あの日まで、長すぎる寿命に自分は生に執着がないと思っていた。だが、己が命の危機に直面した時、自分の方が先に死を迎え、佐助を遺して逝くことになるかもしれないと感じたとき、それがどれほど辛いことか思い知った。 自分が死んだら佐助はどれほど悲しむだろう。遺される者の辛さや寂しさが痛い程分かるだけに佐助のことが心配でならず、佐助をずっと笑顔でいさせてやれずに逝く自分の非力を嘆いた。 「う……んふ……」佐助が微かに声をもらして寝返りを打つ。微笑んでいるような寝顔が愛しくて、こちらを向いた額にそっと唇を寄せる。 父に助けてもらわねば、今の私たちは、この幸せな時間は、なかった。 父上。あれほど偉大だったあなたがどうして鬼に堕ちてしまったのか。私は「何故?」という思いがいつまでも消えなかった。でも今になってやっと、あなたの気持ちが分かるようになりました。 私は、母上が殺されたあの時からずっと、『なぜもっと強く母上の手を引いて逃げなかったのか』『もっと早く父上を呼んでいれば』と後悔に(さいな)まれてきた。けれど、それは父上も同じだったのですね。母上を殺した里の者たち以上に、愛する番を護れなかった自分自身を許せなかった。もっとできたことがあったのではないかと悔やんだ。その憤怒の炎が自らを焼き尽くしてしまったのですね。そのせいで私を置いて最期を迎えてしまったことも大きな心残りとなって、あなたの魂は彷徨(さまよ)い始めてしまった。 あの時、父上は「愛するものを(まも)れ」と言われた。あなたから「愛」という言葉を聞いて私はとても嬉しかったのです。父上の中に「愛」という概念がちゃんと残っていたことが嬉しかった。 父上のおかげで、こうして無事山に帰ってくることが出来、とても感謝しています。この際なので、少し父上に伝えておきたいことがあります。 私は父上のように偉大ではないし、持てる力も僅かなものです。それでも私はずっと佐助を護っているつもりだった。でも、それは大きな間違いでした。 佐助は私が護らねばならぬ程弱くはないのです。確かに私は佐助よりずっと体も大きく力も強い。ですが、人の強さとはなんでしょうか? 佐助と出会い、一緒に過ごしてきた時間、むしろ、私の方がずっと佐助に救われてきた。きっとこれからも私が及ばぬところは佐助が補い支えてくれるでしょう。 この先、私たちに二人の時間がどれ程残されているのか分かりません。けれども、父上に繋いでいただいた命、二人で支え合って山を守り、大きな(いつく)しみをもって悔いの無いように生きていこうと思います。 その夜、嵬仁丸は久しぶりに夢を見た。まだ自分がほんの小さな子供だった頃の夢だ。 父が逞しい腕で嵬仁丸を空高く放り上げては受け止める。嵬仁丸は面白くてたまらず、きゃっきゃきゃっきゃと笑いが止まらない。父の隣で、母は笑いながらも「気を付けてくださいね、ちょっと高すぎはしませんか」と少しハラハラしているようだ。 母上、そんなに心配しなくても大丈夫。父上はとても力持ちだし、私を抱きとめるときは痛めぬようにこんなに丁寧にしておられるもの。だから私は少しも怖くない。 空高く飛んだ嵬仁丸は、両手を広げ快活に笑いながらこちらを見上げている父の広い胸へ、一分の迷いもなく飛び込んだ。

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