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投降

  「それで、あんたらは俺に温情をかけてくれるのか?」    青年の気配が完全に消えた後、肩と腹筋の力だけで地面から上体を起こし、口内に入り込んだ砂を吐き出す。場を支配している沈黙を破ったフリードは、再度敵の大将を睨み上げた。   「従えねえっていう青臭いガキもいるようだが」 「……先の戦で散った北征将軍ミンガは、彼の父であり、グナイアスの兄であり、私の友人でもあった。だが、迎え入れる敵が友を殺した仇という話はこの戦乱の時勢、珍しくもない。個人的に許すかどうかは別としてだ」 「優しい主君だなあんたは。甘いとも言うが。俺たちコールマンは、捕らえた敵兵も降伏を申し出た敵兵も、皆一様に無惨に殺した。一兵卒は戦場で首を刎ね、指揮官は城下で処刑し晒し首にしてやった。お前たちガーランドの者を数多殺してきた。そのコールマンの一族である俺を、迎え入れられるのか?」    俺たちコールマン、と口にしながらフリードは苦々しく頬を捩らせた。まるで一族の代表であるかのような言い草だ。コールマンの同じ血が流れている連中には一度たりとも認められたことなどなかったくせに。  カーターは皺の刻まれた厳めしい顔を不快げに歪ませながらも、はっきりと「そうだ」と言った。   「私たちは、コールマンと違う。自ら敵を増やすような真似はしない。下るというならお前を受け入れる。それが我々の利にも繋がると信じている」 「そうか。……ならば俺はガーランドに下ろう」    犬死にはごめんだ、と吐き捨てる。兄たちの指揮した戦で死に至るほど下らないことはない。  選択を口にした途端、背後に控えていたもうひとつの殺意が色濃くなるのを肌が感じ取った。主君であるカーターは渋い顔つきでひとり頷く。   「グナイアス。お前が先程申した件も、私なりに考えるつもりだ。お前たちアリューシャ家の意志を蔑ろにする気はない。少し時間をくれ」 「……承知しました」 「念のため言っておく。我が軍に下ったフリード・コールマンに危害を加えるような者があれば、厳罰を与える。ツチラトとグナイアスだけではない、他の者たちにも後で伝えてくれ」 「かしこまりました、カーター様」    口を噤んだグナイアスの代わりに、主君の隣に立つ黒髪の男が返事をする。カーターは投降したフリードの命を保証したが、実際のところはどうなのか、確信はない。ツチラトの苛烈なものとは違う、這い寄るように静かなグナイアスの殺意は少しも弱まることがなく、フリードは自身に向けられる敵意が徐々に愉快に思えてきた。   「ふたつほどこの男に尋ねたいことがあります」    感情を押し殺した低い声でグナイアスが言った。   「申してみよ」    カーターが許可を出すと、グナイアスは静かな足取りでいまだ跪いた姿勢のフリードの前に立った。表面的な激しさはない、しかし藍色の右目の奥に見え隠れする憎悪が堂々と見下ろしてくる。   「フリード・コールマン。貴様がガーランドに下る理由は何だ。ただひとえに生き長らえたいからか。だとしたらコールマン家の男の風上にもおけない人物だろう」  「始めから喧嘩腰か」    露骨なまでの敵意にフリードは思わず笑った。とことん嫌われて、憎まれているようだ。余裕を見せるフリードの態度に、グナイアスの眉間には深い皺が刻まれた。   「人を殺す立場である限り、いつ自分が殺されても構わないよう覚悟はしている。だから死を恐れたりなどしない。だが命をくれるというのなら俺はそれに乗る。やっておきたいことが増えた」    フリードの言葉にグナイアスが片眉を跳ね上げる。   「やっておきたいこと?」 「お前たちと同じだ。コールマンを潰す。それさえできれば、後はいつ死んでもいい」 「貴様の家族だろう」 「家族か」    咀嚼するよう口にした言葉は酷く苦く、言い慣れない響きだった。   「いくら戦功を立てても相応の報酬はなく、重用もされないばかりか、挙げ句退路を塞がれ見殺しにされる。それを家族と言うならば、俺は進んで奴らに復讐してやるさ」 「お前はコールマン公の実子だろう。そのような扱いを受ける筈がない」    グナイアスの背後からカーターが声を挟む。フリードは嘆息して、歪んだ笑みを浮かべた。   「俺は奴の正妻の息子じゃない」    貴族家の当主の嫡子ではない。たったそれだけの、よくあるありふれた話だ。   「彼は純血の人狼族ではないと聞いています」    黒髪の男がカーターに耳打ちにするように、しかし場にいる者たち皆に聞こえるように言った。グナイアスは何の感情も浮かべず言い放つ。   「なるほど。貴様は人狼でもない、人間でもない、半端者という訳か」 「他人に言われると腹が立つもんだな」     直接的な表現に、僅かに腹の底に靄が溜まる。フリードは意地悪げに唇の端を吊り上げた。   「だから、お前らが期待するような利用価値は俺にはないってことだ。俺を人質にして連中に金や領地を要求しても、それに応じる慈悲深い奴はいないだろう」    皮肉げに真実を告げると、グナイアスは確信を得たようにカーターを振り返った。どちらかが口を開く前にフリードはさらに言葉を続ける。   「だがコールマンの情報ならいくらでも提供してやろう。次はどこを攻めるのか、軍隊の編成は、武器の調達先はどこか、ガーランドに潜む密偵はどこのどいつか。全部教えてやる」 「だから殺すなと?」 「生かしておく理由は十分にあると思うが? それにさっき、お前の主君が約束しただろうが。俺を受け入れる、危害を加える者には厳罰を与えると」 「もちろん、我が主君の言葉に逆らうつもりはない。貴様がおかしな行動を起こさなければ」 「は、気をつけよう」    厳格な表情のままやりとりを眺めているカーターの横で、黒髪の男がうんざりしたように重たい息を吐いた。その反対側では、黒い長髪の女がにやにやと薄い笑みを浮かべていた。その様子を尻目に、フリードはグナイアスにふたつ目の質問を促す。   「もうひとつは?」  いい加減、縛られた腕が痺れて感覚がなくなってきた。早く解放されたい、解放してくれるのであれば、と早々にグナイアスとの問答が億劫に思えてきたフリードは、じとりと眼前の男を睨め上げる。  グナイアスが何かを憂うように切れ長の目を眇めたのは一瞬だった。   「……北征将軍ミンガは、お前にどのように殺された?」    意図的に感情を削ぎ落とした硬い声音。にわかに場の空気が静まり返り、グナイアスばかりでなくカーターも、両脇の男女も、口を引き結んでフリードの発言を待った。   「そんなこと、いちいち覚えちゃいねえ」    臆することなく率直に答えると、グナイアスの閉じた左目がひくりと引き攣った。   「何……?」 「戦場で殺した奴のことなど、いちいち覚えていられない。ノート要塞で俺が殺したことは間違いないが、誰が誰だったのか、その死に様まで記憶してねえよ。お前はお前が殺した奴らの顔を覚えているのか?」    淡々と言い放つ。ツチラトのように手足が飛んでくるかと身構えたが、グナイアスは不動のままだった。ただ拳を固く握り締め、相変わらず感情を削ぎ落とした表情のまま静かにフリードを見下ろしていた。   「そうか、わかった。聞きたいことは以上だ。……カーター様、私はここで失礼いたします」    グナイアスは主君に軽く一例し、踵を返した。用済みとばかりにフリードに再度視線を向けることなく、足早に幕営を立ち去った。 「とても、ツチラトには聞かせられん」    部下を見送ったカーターは誰に言うでもなく、苦々しく嘆きを漏らした。

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