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新たな住処

 パルテア王国の内乱の始まりは十年前だ。  パルテアに仕える貴族家の中でも一際大きな権力を持つコールマン家の当主によって、パルテア王は殺害された。所謂クーデターであった。人狼の一族であるコールマン家当主はパルテア軍の元帥を務めていた。  パルテアの慣例では、王が死ぬと巫女が過去に死んでいった王たちの霊と対話し、血縁者の中から新王を決める。コールマン家によって殺された王も、若い頃にそうして選ばれた。次期王がいまだ選ばれない中、コールマン家当主ガイユス公は王妃や王の子どもたちを捕囚とし、首都システィーナと王城を占拠した。そして自らを王と名乗った。  対抗できる程の力を持たない家々はコールマン家に追従した。好戦的な彼らに歯向かえばどうなるか、一族の末路が容易に想像できたからだ。  コールマンに異を唱え反抗した貴族家はふたつあった。ひとつは、巫女を務めていたザシャ・クメルスを当主とするクメルス家。クメルス家は結果コールマン家に放逐され、異民族と接する国の南方へ逃れた。もうひとつは生前のパルテア王の王佐を務めていたカーター・ガーランドを当主とするガーランド家。ガーランド家はコールマン家に反抗する家々を率い、国の東方にある海港都市コヨークに拠点を置き、コールマン家からのパルテア解放を誓った。  パルテア国内にはコールマン、ガーランド、クメルスの三勢力が鼎立することとなった。それから十年間、北のコールマンと東のガーランドは対立を深め刃を交えてきた。南のクメルスはどちらに荷担することもなく、沈黙を守っている。    内乱が起きて以来、他国との貿易や外交は打ち切られた。そのため貿易が盛んであった港町コヨークの経済は衰退し、金が落ちる町として華やかさを極めたかつての姿は見る影もないと、フリードは勝手に想像していた。だが実際は違った。  夕刻であるにも関わらず、コヨークの城下には沢山の商人たちが露店を広げ、作りたての焼き菓子や串肉、煌びやかな装飾品や今朝収穫したばかりの食材などを並べている。市民たちは色とりどりの市場の中、人への贈り物を選んだり、今晩の夕食に何を買うか悩みながら歩き回ったり、それぞれの買い物を楽しんでいた。内乱の最中にも関わらず市民たちは飢餓に苦しむ様子もなく、その顔には笑顔が溢れていた。   「システィーナとはまるで違うな」    コールマンが拠点とするパルテア首都システィーナと比べ、フリードは独りごちた。  ガーランド家の城イストウェラ城へと続く広い舗道を、一行は凱旋と称されて進んでいた。それも久しぶりの勝ち戦だけあって、市民たちの歓声は凄まじい。市場のある通りとはひとつ隣の大通り、その両端にはおびただしい数の市民たちが立ち並び、ガーランド軍の帰還を喜んでいる。  しかしガーランド軍を歓迎する一方、ひそひそと低い声で囁き合う声が馬上のフリードの耳にも時折入り込んだ。   「あの黒い肌の男、コールマンの者じゃないのか」 「何で人狼族が縄もかけられずに隊の中にいるんだ」 「それに見慣れない鎧の兵士たちが混じっている」    通りすがりに聞こえた囁きのもとへ視線を向けると、市民たちは口を噤んだ。  疑問に思うのも当然だろう。見慣れない褐色肌と金目の黒い短髪の男が、捕縛される訳でもなく他の将軍たちに混じって馬で闊歩していたら。   「皆お前に注目しているな」  真横から話しかけられ首を向けると、白い馬に跨がった女がフリードに並んで手綱を握っていた。腰まで伸びた波打つ黒髪が、柔らかく吹く風にふわりと揺れる。見覚えのある相手は、フリードが連行されたガーランドの陣営で、カーターの隣に控えていた女だった。   「おかげさまで。しばらくは俺の話で持ちきりだろうよ」 「そうだろうな。長い間敵対していたコールマン勢力の、しかもそのコールマン家の子息が下ったのだからな。大きな収穫だ」 「同時に災いの種も招き入れた」    皮肉を口にすると女は同意するように口端でフ、と笑った。  垂れ目がちな切れ長の目は涼やか、厚めの唇の横に小さな黒子が印象的な、低い声の妖艶な女だった。ともすれば娼婦と誤解されそうなのは、戦に追従しているにも関わらず、肌着と見間違えそうな露出の多い薄手のドレスを纏っているためだ。それなのに雰囲気に嫌みがないのは、低く落ち着いた声音と口調のせいか。本人は大股を開いて馬に跨がっているが、まるで気にしている様子がない。容姿と気配の相違がちぐはぐな印象を抱かせる。   「申し遅れたが、ハンだ。一度会ったな」 「ああ、あの時は俺は縄で縛られていた」    ハンは肉感的な唇で薄く笑った。   「安心しろ。これからは誰もお前を敵と見なしたり命を狙ったりはしないだろう」 「表向きは、だろ。少なくともあんたは俺を嫌っていなさそうだ」 「あんたのことが気にくわないのはアリューシャ家の奴らさ」 「金髪のガキのことか?」  散々喚き散らしていた青年の顔を思い浮かべ、フリードは鼻梁に皺を寄せた。   「彼とその叔父のグナイアスがそうだ。家の当主があんたに殺されたばっかりだ」 「背後には注意しておこう」 「カーターは仇討ちを禁止したが、そのほうがいいだろう」    ハンと会話している間にも、イストウェラ城は間近に迫っていた。  ガーランド家が拠点を置く城は、思っていたよりも小さい。首都システィーナにある王城――今は王の座を簒奪した男が住まう場所だが、高さはそれの三分の二程度か。城壁や城の壁にところどころ使われている鉄は、海から吹く潮風にやられて錆びている。   「修繕はしないのか」 「したいだろうが、度重なる戦で我々は常に金欠でね。貴族家といっても今はガーランドは良い暮らしをしている訳じゃない」 「民から税を徴収しないのか」 「これ以上徴収したら、今のコヨークの活気は失われるだろうな」 「戦費はどうしてる」 「ガーランド家と、それに従う貴族家がほとんどを負担している。……まあ、それにも限界が訪れそうだが」    ハンから実情を聞きながら、フリードは大変な場所にきてしまったと思い始めた。   「だからフリード、あんたを捕縛できた時は、あんたを人質にコールマンに対して物資やら金やらを要求できると、我々は一時喜んだ訳だが」 「とんだ期待外れだったな」    嘲りを浮かべるフリードに、ハンは「そうでもないことを祈るよ」と、目前に迫ったイストウェラ城を見上げた。今日からこの城の一角が、フリードの新たな住処になる。    

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