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決闘

 祝宴の間の方向から、名前を呼ばれた青年の叔父であるグナイアスが現れる。  ふたりに近づいたグナイアスは、血に濡れたフリードの手とツチラトの喉元、そして無造作に転がる短剣を目にした途端、顔面をぶるぶると震わせた。   「貴様ァ!」    ぶん、と視界が大きく動き、状況を理解する前に頬へ大きな衝撃が走った。頭がぐわんと揺れ、一瞬だが視界が黒くなる。酒の手伝いもあり左右上下に回る視界が元に戻った時には、フリードは冷たい床に伏していた。それさえも僅かな間で、何かに襟首を掴まれて上体が強引に持ち上げられる。   「ミンガのみならず、ツチラトまで殺すつもりか!」    目と鼻の先で大喝するグナイアスの憤りの表情を、フリードはようやっと焦点の合った目で見つめた。激昂したグナイアスはその足元に転がる血塗れの短剣を拾い上げ、鋭い切っ先をフリードの喉元に宛がった。  待て、と言いたかったが重力で絞められた喉元が苦しく舌を動かすのも億劫だった。やはりこいつも甥と同じく血の気の多い男だったかと、頭の片隅でぼんやりと思う。   「まって、ください、叔父上」    制止をかけたのは、仰向けに床に転がっていた姿勢から上体を起こしたツチラトだった。甥の声を聞いたグナイアスははっと息を飲み、傍らの甥を見つめた。   「俺の血じゃない」 「怪我はないのか、ツチラト」 「頭を打ったくらいです」    グナイアスがほうと胸を撫で下ろすと、ツチラトは視線を彼の背後へ向けた。祝宴の間の方向から、数人の男たちが歩いてくる。床に短剣が落ちる音とともに襟首を鷲掴みする力が突然消え失せ、床へ落ちたフリードは肩を強かに打ちつけた。   「俺を乱雑に扱いすぎだ……」 「……ツチラト、グナイアス。これは何の騒ぎか、説明してもらおう」    静かな声で問うたのは、ロトを隣に連れたカーター・ガーランドだった。叱責の意図を含んだ硬い声音にグナイアスはすぐさま姿勢を正し、カーターの前に跪く。   「申し訳ございません、カーター様」 「謝罪を求めているのではない、グナイアス。状況を説明しろと言っている」 「は……祝宴の間に我が甥とフリード・コールマンの姿がないことに気づき広間を出たところ、奴が甥にのしかかっているところを見まして」    カーターはグナイアスの説明をすべて聞く前に、岩のような眦をゆっくりとフリードへ、そして座したままのツチラトへ向けた。   「その血はお前のものか、ツチラト」 「……いいえ、違います」 「では、その短剣は?」  カーターの短い問いに、ツチラトは絞り出すようにして「私のものです」と答えた。ガーランドの主君はそれを聞いて顔を伏せ、長いため息を吐いた。フリードが見上げた彼の表情は想像通り、我が子を窘めるような苦い表情だった。       「どうしても納得できないか」 「できません」 「罰則を与えるとも言った筈だが」  改めてカーターの口から聞いたツチラトが、僅かに顔を強張らせる。上体を起こしたフリードはそれを見て薄く息を漏らした。   「俺を殺せるなら牢に入っても、死罪でもいいって言ってたぞ」 「お前は黙っていろ、コールマン」     初めて耳にする、カーターの苛烈さを含んだ声。陣営に加わったばかりのまだ身内とも呼べない男へ対する態度は、息子のような年齢の青年に対するものとは正反対だ。十年もガーランドの大軍勢をまとめ上げ率いてきた男の言葉に、フリードは大人しく口を噤む。   「私自身が決定しすべての者へ触れを出した以上、これは守らなければならない。でなければ軍紀は乱れるだろう」    主君たる者、臣下には皆公平な扱いをしなければならない。息子にも等しい、年若い武人に対してもカーターは厳格さを欠かなかった。   「ツチラト、お前には一ヶ月の禁固を与える」 「お待ちください、カーター様」    処罰を告げる主君の言葉を遮る勢いで声を上げたのは、いまだ跪いたままのグナイアスだった。   「決闘の機会を頂きたく思います」    憮然としたグナイアスの要求に、口を閉ざしていたフリードは「はぁ?」と思わず頓狂な声を上げた。  グナイアスはちらりとフリードを一瞥し、腕組みをして佇むカーターを再び見上げた。   「甥の愚行に重ね、厚かましい願いとは承知しております。ですが私どもアリューシャ家は確執を持ったままこの男とともに戦い生きていくことはできない。それを断ち切る機会が欲しいのです。決闘に負ければツチラトも、もちろん私も、二度とこの男を殺そうとはしません」    フリードの文句を聞き流したグナイアスは、明朗に申し立てた。その声音に葛藤や躊躇は見られない。確かに決闘は双方の遺恨を残さないための合理的な手段である。同時に、決闘する両者が生命を賭して戦う極端な手段だ。   「お前正気で言ってんのか。そこのガキが罰を受ければ終わる問題だろう」    黙れと制されたにも関わらず、フリードは無意識に反論の声を上げていた。   「例え罰を受けたとしても、貴様への恨みは消えず、この先も命を狙うことだろう。遺恨を残さないためにも今決闘により決着させ、貴様がミンガを殺したことについては今後一切追及しないことにする」 「そりゃてめえが死んだら俺を憎めないし、俺が死んだら悲願が叶う訳だからな」 「死ぬのが怖いか」 「せっかく生き長らえたのに何で仇討ちとかいう理由でまた命の危険に晒されなきゃいけない」    誰にも咎められず公的にフリードを殺す機会がどうしても欲しいようだった。どちらかが死ぬ――つまり仇討ちを果たすことができず命を落とすのは自らであるかもしれないのに、グナイアスに怯む様子は一切ない。仇の首を取れるのなら自らの首も賭ける覚悟らしい。  跪いたまま真摯に見上げるグナイアスの視線と、臣下の本意を見極めようとするカーターの視線がぶつかり合う。しばしの沈黙の後、破ったのは主君の方だった。   「これまで厚く忠義を尽くしてくれたアリューシャ家の願いを聞こう。ツチラトとグナイアス、どちらが戦うつもりか」      死に臨む決意を表す臣下に根負けしたらしいカーターは、ツチラトとグナイアスを見比べた。口を開こうとするツチラトを制止するようにグナイアスが立ち上がった。   「私が」 「……叔父上」    叔父を呼んだツチラトの声は消え入りそうなほど小さい。青年は咽喉を震わせて、縋るようにグナイアスを見上げた。   「俺が出ます。叔父上まで失ってしまったら、俺は……」 「私の実力が信用できないか、ツチラト」 「そういう、訳では」 「それにお前は丸腰の男を相手に歯も立たなかっただろう」     グナイアスの述べた事実に、ツチラトは返す言葉もなく下唇を噛み押し黙った。   「不安に思うことはない。俺がお前の父の仇を取ってやる」 「まるで俺が大人しく殺されるとでも思っているみたいな言い方だな」    ふたりのやり取りを聞いて、フリードは捩れた笑みを作った。不愉快極まりない。  もちろんフリードは、グナイアスに殺されるつもりは毛頭ない。グナイアスを殺してこの厄介な問題を終わりにしてやるつもりだ。しかしミンガに続いてグナイアスを殺せば、このガーランドの軍勢の中でフリードを味方と見なす者はいないだろう。決闘の勝敗がどちらに転んでもフリードにとって好ましい状況にはならない。それを承知でグナイアスは決闘を提案したのだろう。  フリードは血に濡れた手をついて立ち上がり、主君カーターに向き直った。   「ガーランド公。決闘の申し出は受ける。約束通り、俺が勝ったら北征将軍の件は不問にしろ。そのガキがまた変な気を起こさないよう見張りでもつけてくれ。今度は叔父が殺されたと騒ぐかもしれん」 「決闘の勝敗はまだ誰にもわからん。思い上がった態度は控えろ。決着した後のことは私が決める」 「……承知しましたよ、閣下」    胸に右手を当ておどけたように一礼する。以前まではフリードがかしづく相手は父や兄たちであったが、今はこの義に厚そうな男なのだと思えばおかしな気分になってくる。多数から忠誠を誓われるに値する男だ。   「グナイアスは私によく仕えてくれた大切な臣下のひとり。フリード、お前も今日から彼と同じ、私の臣下だ。どちらが勝っても、そして死んでも、勝者は称え、敗者は手厚く葬ることを約束する。決闘は明日の正午だ。立ち会いは私自らが行う。ロト、手配を頼む」 「かしこまりました」    黙していたロトが頭を下げるのを見ると、カーターは踵を返しフリードやグナイアスに背を向けた。ロトもそれに続いて場を後にする。残されたのは深い確執を抱える者同士。呆然としているツチラトを一瞥すると、彼の赤くなった目と視線が交わった。   「悲願が果たされるか、さらに家族を失うか。どっちだろうな」    ふ、と低く笑みを漏らして青年に問いかける。今度は憎悪の視線も、辛辣な言葉も返ってくることはなかった。

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