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死に臨む

     翌朝、自室の扉を叩く音で目が覚めた。   「……いつだ」    瞼をこじ開けて窓の外を見やると、既に太陽は高く昇り、温かな陽光が部屋の中へ差し込んでいる。だがまだ正午ではない。  随分と長く眠ったような気がする。地面でない場所で横になって眠ったのは一体何日ぶりだろうか。体力を取り戻すように深く眠りを貪った身体は、上体を起こすと背中をみしりと軋ませた。  返答のない部屋主に焦れたらしい訪問者が再度、強く扉を叩いた。   「急かさないでもらいてえな」    軽く寝癖のついた短い髪を掻き上げると、右手に包帯が巻いてあることを思い出した。昨夜、刃によって深い切創を負った掌に、軟膏を塗って適当に包帯を巻いただけだったが、元来の人狼族の治癒力の高さによって血は止まっている。  硬いベッドから這い出し部屋の扉を開けに出る。そこに立っていた男は、下履き以外何も身につけていないフリードの姿を見て顔を顰めた。   「ドアを叩いたのが俺でなくご婦人だったらどうするんだ」 「そりゃ失礼した」    昨日と同じようにフリードの部屋を尋ねたロトは、悪びれないフリードにため息を吐いた。   「だが俺にここでのご婦人の知り合いはハンとかいう女以外いない」 「イストウェラ城にはガーランド公の奥様も、他の貴族家の令嬢もいらっしゃる。そのうち顔を合わせることになるだろう」 「だから服を着て人と会えと。それで、あんたは何をしに?」    部屋の中へロトを招き入れたフリードはベッドの端に腰掛け、腕組みをして自分を見下ろす男を上目に見上げた。   「まさか忘れた訳じゃないだろう。グナイアスとの決闘を」 「もちろん覚えてるさ。だがまだ正午じゃない」 「場所を知らないだろう。お前を案内しろと閣下に言われたんだ」    確かに昨夜は「正午に」とそれだけ告げられて部屋に戻ったのだった。時刻だけ教えられても、どこに行けばいいのか知らない。   「城の南側にある訓練場へ向かう。早く支度をしろ。正午に遅れたらお前の負けだぞ」 「あんたは俺を気にかけてくれるな、ロト」    ベッドから立ち上がると、背丈の変わらないロトとはちょうど真正面から向き合う形になる。彼は目尻の小さな皺を深め、微妙な表情で笑んだ。   「カーター様の側近の中で、お前の面倒を見てやれるのは俺くらいだろう」 「あんたは俺を恨まないのか」    ロトの表情が一瞬、強張る。   「敵だった時はお前の存在は厄介だと思っていた。お前のせいで大勢の兵が死んだ」 「……今は?」 「頼りになる味方で、優秀な武人であることを期待している」 「それは今日の決闘の勝敗次第だな」    ロトはすぐに緊張を解き、「いいからさっさと着替えろ」と子を叱る母のようにフリードを急かした。      城の南側には軍に属する兵士たちの宿舎と訓練場があるようで、ロトとともに中庭を歩いて移動した。敵の将軍が投降したとしか聞いていないのだろう、道中の使用人や衛兵たちはフリードの褐色の肌を認めると驚いて皆注目した。コールマンの人狼だ、と。  城の岩壁が消えて開けた場所に出ると、兵士の宿舎らしき建物が見えた。そのさらに南側ではちょうど練兵の最中らしく、百人ほどの単位の兵たちがそれぞれ指揮官のもと訓練を行っている。土埃が舞っていた。  訓練場の端にある倉庫に近づくと、すでに決闘の相手は準備を終え正午を待っていた。その横には彼の甥と、数人の従士が控えている。   「なあロト、あいつの近くに行かなきゃならないか」 「武器庫で装備を整えないといけないぞ」 「恐ろしい顔で俺を睨んでる奴がいるが、挨拶した方がいいか?」 「決闘が始まる前に殺されるだろうな」 「それは怖いな」 「怖いなんて思っていないだろう」    武器庫の前まで行くと、銀色の甲冑を纏ったグナイアスはフリードから視線を逸らした。平服のツチラトは張り詰めた表情のまま俯き、見向きもしない。従士のうちの何人かはこちらを睨んでいる。フリードは彼らを素通りしてロトとともに武器庫の中へ足を踏み入れた。  埃とカビの匂いが鼻をつく。鎧や胸当てなどの防具や剣、斧、槍といった武器が、入口とは反対側の壁までずらりと立てかけられていた。   「ここは訓練時に使用する装具の保管庫だ」 「ってことは長年色んな男たちに使い回されたお古しかないってことか」 「ちゃんと手入れはしている筈だ」 「グナイアスは専用の装備だろう。俺もいつかは自分の防具と武器が欲しいもんだ」 「勝てばガーランド公が作らせてくれるだろう」    薄暗い部屋の中を歩きながら、フリードは防具と武器をひとつひとつ吟味した。どの装備にも幾重にも傷がついているが、どうやらロトの言うとおり整備は怠っていないらしい。刃に曇りのある武器はひとつもない。  フリードは数あるものの中から、軽い革鎧と具足、槍を選んだ。兜は視界を狭めるため必要ない。   「そんな頼りない鎧でいいのか」 「重い甲冑は苦手だ。こっちの方が素早く動ける」    ひとりで身に着けられる革鎧を早速装備し、背丈ほどもある槍を握った。右手に巻いた包帯が邪魔で剥ぎ取ると、赤い傷口はすでにかさぶたになりかけている。   「そろそろ正午だろう。主君も到着する筈だ」 「死に臨む前に聞いておきたいが、あんたはどっちの味方だ? いや、味方という言い方はおかしいな。どっちに勝ってもらいたい」    手に馴染むよう槍を握り直しながら、フリードは興味本位でロトに問うた。ロトの一重の涼しげな目が一瞬眇められる。   「どちらが死んでも、我がガーランド軍にとって大きな損失であることに変わりない。できればどちらも勝って欲しくはないな」 「どちらかが勝たなきゃ、決着はつかない」    どちらかがどちらかを殺さなければ、決闘は終わらない。決着がついた時、足をつけて立っているのは、血を流して地面に伏しているのは、自分か、相手か。結末はまだ誰も知らない。フリードはロトの返答に薄く笑み、彼の薄い肩を叩いた。

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