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取り返す
フリードがその部屋の扉を押し開けて中に入ると、そこにある視線のすべてが集中した。沈黙に包まれた将議の間は、何とも言えない空気を孕んでいる。
「悪い。道に迷ってな」
平然と悪びれずに言い、集まった人の群れに近づく。十人ほどが掛けられる広い卓に、ひとつだけ空いている席があった。左隣はロトで、右は知らない初老の男だった。椅子に手をかけると、右から胡乱な視線が突き刺さる。
広い卓を囲む面々は、ガーランド家当主のカーター、参謀のロト、アリューシャ家のツチラト、グナイアス、そして他はフリードの知らない男たちが五人。ガーランド家に仕える貴族の当主だろう。
短辺の席に腰かけたカーターが口を開いた。
「フリード。身体の具合はすっかり良いようだな」
「おかげさまで。優秀な医者が治療してくれましたから」
「このような男、死なせておけばよかったものを」
知らない顔のうち、白く豊かな顎髭を蓄えた老人が苦々しく吐き捨てた。
「ローバック公。彼はすでに我が陣営の男だ。手を尽くすのは当然のことだ」
「閣下。ですが、このけだものを認めている者は一体何人おりますかな」
主君の諫めに反論し、ローバック公と呼ばれた老人は鷹のような鋭い眼光でギロリとフリードを睨んだ。彼だけでない、他の四人の男たちも懐疑の眼差しでフリードを不躾に眺めていた。
「いつ閣下に対して裏切りを起こすかわかりません」
「何せ王を殺したコールマンの血が流れている。背信は得意とするところでしょう」
フリードが姿を現した途端、口々に誹る諸侯の言葉に、フリードは仰々しくため息を吐いた。
「俺は主君の前で誓ったが? コールマンを潰すとも言った。そう伝え聞いてないのか?」
「貴様の口から出る言葉など信用できるか」
ローバック公が語気も荒くフリードの言葉を跳ね退けた。老人が再び口を開く前に、カーターが掌を上げて制止する。
「ならば、フリードが我々の味方だと証明できれば、諸侯らの納得を得られるのだろうな」
「もちろんです、閣下。証明できればですが」
なかなか、ままならないものだとフリードは思った。
アリューシャ家との深い確執を取り除く――とまではいかないものの何とか命からがら保留にしたというのに、ツチラトとグナイアス以外にもこうして衝突してくる者たちがいる。受け入れられない気持ちは、わからないでもないが。
最もフリードを憎んでいる者であろう当のツチラトは、諸侯たちが騒ぎ立てる中、声を上げずに押し黙っていた。
「ならば此度のノート要塞奪還で、フリードに大きな戦功を立ててもらうしかあるまい」
ノート要塞奪還。その言葉は、フリード含め卓を囲む男たちの胸に重々しく響く。
今日の軍議の課題は、まさにそれだった。
ノート要塞、あるいはノート城。半年前まではガーランドの支配下にあったが、フリード率いる軍兵が陥落させて以来、コールマンの領地となっている。
ロトは卓に広げられた大きな地図の一点を指差した。
「皆が知っている通り、ノート要塞は北へ攻め入るには不可欠な要衝だ。堅牢な城壁は守備に向き、兵糧を備蓄しておくには申し分ない。そこを拠点に北上する他、コールマンを破る手立てはないだろう」
要塞はコヨークよりおよそ馬で三日ほどの場所に位置している。城を囲む二重の城壁、敵の侵入を威嚇するよう四方の至る場所に建てられた物見の塔、内側へ至る門は非常に堅く、三代前の王の時代にとある貴族が建てたというこの城は、攻城兵器によって破壊されたことがない。
「一度奪われたものを取り返す。言葉にすれば簡単だが、あの要塞を陥落させるのは非常に困難だ。それはフリードが身をもって知っているだろう」
ロトがフリードに一瞥をくれる。確かに、ノート要塞を落とすのは容易なことではなかった。加え、北側からと南側からでは攻撃の勝手が違う。要塞の南側には、その北側と分断するように底の深い川が流れているのだ。川を越えて攻め込むには、要塞側から橋が下ろされている必要がある。
「だがこのままノート要塞をコールマンの手に渡しておけば、彼らはいずれ南へ進軍してくる。要塞の奪還は急を要する作戦だ」
「この男は一度落としたのだから、もう一度くらい難ないだろう。いっそ任せてみては? 駄目だったら我々で何とかしよう」
ローバック公の挑発に、フリードの片眉が跳ね上がる。
高慢な物言いに思わず口を開いた。
「駄目だったら? あんたらで何とかなると、できるとでも思ってんのか? 俺がどんな手を使って要塞を落としたか覚えているか?」
フリードはガーランドの男たちの顔を見渡した。鋭い視線は、表情を強張らせたツチラトで止まる。
兄の命令で、門を閉ざす要塞の北側を包囲した。ガーランド軍は内側に籠城したっきり、撃って出てくる様子はない。城壁まで近づこうものなら、攻城兵器や梯子を用意している間に壁の上からおびただしい数の矢が降ってくる。正攻法で攻め入るのは不可能と見たフリードは、一度兵たちを後退させた。
「一週間の間、矢がぎりぎり届かない場所で絶えずラッパを吹かせ続け、太鼓を打ち鳴らした。昼も夜も、一日中ずっとだ。流石に一週間眠れないのは堪えただろうな」
その時のことを思い出したのか、ツチラトは唇を歪ませた。
「よく覚えてる……。指揮官はなんて奴だ、今すぐぶっ殺しに行ってやるって、皆が目を血走らせて言っていた。でもこいつが味方の士気を奪ったのはそれだけじゃない」
「夜間に迂回路から少人数で川を泳いで南へ出て、要塞へ入って行く補給物資の馬車を襲った。だからガーランド軍は戦の間、飯を十分に食えなかった筈だ」
わざわざ過去の作戦の内容を口で説明してやると、話を聞いている間にも男たちの数人は当時の敗戦を思い出したのか、不愉快そうに顔を歪ませた。この中にもツチラトと同じように、もしかしたら北征将軍の下で守備についていた者がいるかもしれない。
「同様の手口は使えないだろう。今要塞にいるコールマンの連中は、ガーランドが攻めてくると見て対策はしてる筈だ。悪いが俺には他に要塞を攻める手が思いつかねえ。出ろというなら出るがおそらく俺は死んで帰ってくるだろうから、後のことはあんたらに任せるよ」
淡々と言い放つと、ローバック公は顔面をぶるぶると震わせて怒鳴り散らしたいようだったが、押し黙った。その様子を見てわずかに溜飲が下がる。
カーターの重い溜め息で、意識をローバック公から離す。
「――今日皆に集まってもらったのは、戦略を練るためであって、フリードに役目と責任を押しつけるためではない」
再び卓上が緊張に包まれ始める。
フリードが苦労してまで落としたノート要塞。それを、同じ手は使わずに陥落させなければならない。
ロトが口を開いた。
「どのみち要塞へ至るには川を越えなければならない。川の中を渡るか、コールマンに橋を下ろしてもらうしか方法はない訳だが」
「後者はありえない。とすれば、浅瀬を探して馬で渡るのが一番でしょう」
返答したグナイアスに、ロトは渋い顔をした。
「川の浅瀬はコールマンも警戒している筈。渡った先に伏兵がいる可能性もある」
「では、我々はコールマンが城から出てくるのをのんびり待っているしかないと」
再び沈黙が支配した。要塞まで辿り着く方法すら見当たらない。北の要塞を奪取することは限りなく不可能に近いことなのだと、その場にいる誰もが再確認させられた。
――フリードはふと、思い出した。重要なことだ。
川を越えて門の内側に入るのは、不可能ではないかもしれない。
「いや、向こうから橋を下ろしてもらえばいい」
全員の注目が集まった。言い間違いか、聞き間違いか、冗談か。皆じっとフリードを見つめていたが、もちろん正気を失っている訳ではない。
ややあってロトは慎重に口を開いた。
「フリード。何か策があるのか?」
「ある。むしろ、これ以外に成功の見込みがある作戦はないだろう」
「話してくれ」
「俺が単騎で行く」
平然と言ってのけるフリードの言葉に、皆異なる反応を見せた。ローバック公たちは顔を見合わせ笑った。カーターは腕組みし深く目を伏せた。ツチラトとグナイアスはフリードの言葉の続きを待った。ロトはフリードの意図が読めたのかひとり頷く。
「俺は本隊より先行し、ガーランド軍の捕虜になったが逃げてきたと偽って要塞の中に入れてもらう。そして夜間に内側から門を開けて橋を下ろす。その後本隊を要塞へ進軍させ、動揺するコールマン軍を叩く。たったそれだけの簡単な作戦だ」
「なるほど。すべてお前にかかっている訳か」
カーターは渋い顔をして背もたれに深く身体を預けた。カーターの言うとおり、フリードがコールマンの衛兵を躱しきれるか、中に入れたとしても気づかれずに開城できるかどうかにすべてが懸かっている。逆に言えばフリードが失敗すれば、要塞を落とす手立てはなくなるということだ。
「要塞は今、次兄の軍が占領している。奴らは俺が先の戦で死んだと思っている。その俺が生きて現れたとして、兄に確認を取るまでは無闇に殺したりしない筈だ。そして兄は今、戦の後で普段通りなら王城に帰還している。要塞にいる兵が早馬を飛ばして戻ってくるまでにおよそ二日。二日あれば俺が内側から門を開ける機会もある」
「上手く行く訳がない」
ローバック公が肩を竦めながら鼻を鳴らす。
「あんた最初に、俺が出て駄目だったら後は我々で何とかすると言ったな。なら最初は俺の作戦に任せてくれるんだよな?」
「そんな不確実な作戦、成功する訳がない」
「確かにそうだ。だが失敗したところで、俺が死ぬだけだ。ガーランドの兵に犠牲は出ない。あんたは何が不満なんだ?」
身を乗り出して問いただしたところで、カーターが制するように腕を伸ばした。
「此度の戦でフリードに戦功を上げてもらわねば、皆彼がガーランドの一員だと納得しない。だが手柄を立てることもさせぬのであれば、一体どうしろというのだ、ローバック公」
カーターの巌のような目が、同じ年頃の貴族の当主を一睨みする。ローバック公は口を閉ざした後、長い溜め息を挟んで「異論はない」と苦々しげな声音で承諾した。
「この作戦で賭けに出るしかないだろう。ロト、どう思う」
「非常に危険な作戦ですが、フリードに任せるしかありません。ただ彼に確認しておきたいのですが」
「何だ」
「お前の見立てが正しいとして。中に入ることができ、見張りの目を欺いて門を開け橋を下ろす。お前ひとりで可能か?」
「いや、無理だな」
フリードの否定的な返答に、ロトは一瞬眉を顰めた。ならばどうしてこの作戦を立案したのかと問いただしたそうな顔だ。
「だが、協力してくれそうな知り合いが中にいる」
「知り合いか。友人か、部下か?」
ノート要塞の中にいる男の顔を思い出す。思い浮かべて愉快な顔ではないが、フリードは嫌いではなかった。友人でも、部下でもない男だが。
「そのどちらでもない」
「信用できるんだろうな」
「俺の言うことなら絶対に聞く男だ」
根拠のない自信があった。躊躇なく断言したフリードにそれ以上追及するつもりはないらしく、ロトは頷いて「お前に任せる」と言った。
カーターは全員に向き直った。
「フリードの作戦が唯一だと私は思うが。諸侯も納得してくれるか」
カーターの問いに、反論を上げる者はいなかった。唯一ローバック公は口を曲げてふて腐れていたが、声を上げることはなかった。
「よろしい。では出撃部隊の編成はロトに一任する。出たい者があれば今ここで名乗り出よ」
カーターの厳格な声が響き渡る中、ひとりが手を上げた。
「ツチラト」
「父が守りきれなかった要塞です。息子の私が取り戻します」
ツチラトの使命に燃える瞳が、ちらとフリードを一瞥する。父の仇が討てないのであれば、せめて砦だけでも。そんな切実な願望が彼の中にはあった。
「ツチラトが出るのであれば、私も行かねばなりません」
グナイアスも硬い声音で名乗りを上げる。アリューシャ家のふたりの覚悟が表れた顔を見て、主君は頷いた。
「ロト、ふたりの部隊を加えよ。後はお前の好きなように」
「かしこまりました」
軍議はそこで終了となった。詳しい作戦の内容はまた後日、ノート要塞へ出撃する者だけで詰めることとなった。
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