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開戦*流血描写

 湿った地下牢は時間が経つにつれ冷気を増していった。藁と尿瓶しかない格子の内側では寝る以外にすることがなく、フリードは藁の上に腰を下ろして意識を手放し、鳥肌を誘う冷気を感じて目を覚ましを何度も繰り返していた。  そのため時間の感覚もすでにない。地下牢には朝も夜もなく、まだ深夜なのか明け方なのか検討がつかなかった。  うつらうつらとしていた意識を一気に覚醒させたのは、地下牢の入口の扉が乱暴に押し開かれる音だった。数人分の激しい足音が下ってきて慌ただしくフリードの入る牢の前で足が止まる。ガチャンと錠が落とされて格子が開く。目の前でフリードを見下ろしたのはクセルの姿ではない。 「裏切り者が。来い!」  兵士に腕を掴まれて強引に立たされ、手首を拘束するよう鎖がかけられた。薄暗い中男の顔を見やると、わずかにだが額に汗が浮かんでいる。  クセルが行動を起こした。だが、成功なのか失敗なのか。呼びに来るまでここで大人しくしろとにやついていた男の言葉を思い出す。地下牢に現れたのがクセルでないのなら、失敗ということなのか。  やはり任せるべきではなかったかと嘆息しながら兵士たちに強引に連れられ階段を上る。扉を開けて外に出た瞬間、目の前の兵士が倒れた。え、と驚きの声を漏らした他の兵士たちも、次の言葉を発する前にその喉から血を吹いた。  膝をついた死体の前に佇んでいたのは剣を手にしたクセルだった。 「ちょっとばかしやらかしちゃいましたが」  緊張感のない声音で良いながらクセルは顔に飛んだ返り血を袖でぐいと拭った。 「これがちょっとばかしか?」  周囲を見渡すと、コールマンの兵士たちが慌ただしく往来している。何故開門している、敵が来る、と叫びながら武器庫のある内壁の外側へ走り、フリードとクセルの様子に気づく者はない。ふたりは走る兵士たちから遠ざかり物陰に身を隠しながら門の方角へと足を進めた。  フリードは端的に尋ねた。 「門は?」 「開けてます。外門も内門も。跳ね橋も。けど部隊長たちが気づいて鐘を鳴らしちゃったんで、奇襲って訳にはいかなくなりました」 「お前には荷が重かったか」 「いやいや、この次も任せてもらいたいもんです」  口角を吊り上げ皮肉を言ってみせたが、不満を訴えている訳ではない。ガーランド軍を招き入れる準備が成功したのであれば、奇襲作戦が頓挫したとしても上々だ。堅牢なノート要塞に苦労なく攻め入ることができる。 「コールマンの兵士たちはまさか内側から門が開かれるとは思ってもないだろう。奴らが狼狽しているうちにお前の部隊も動かせ。外門へ向かう奴らの背後をつく」 「了解です。副官に命じて指揮させます」 「お前は?」 「俺は中の安全なお部屋に篭もってるお偉いさん方をさっくりやってきます」  フリードの問いかけにクセルはにやりと唇を吊り上げて、くるりと身体を反転させた。兵士の群れの中に飛び込むと彼らとは逆方向に人の波を割くようにして進み、その背中は消えていく。クセルの姿を見送った後、フリードは重大なことに気づいた。 「俺の手を解いてからにしろ!」  すでに人波に埋もれてしまったクセルに叫んでも、彼が戻ってくる筈もない。フリードは鎖で硬く拘束された両の手首を見下ろし、途方に暮れた。  夜は明けてはいなかった。空は黒く城内は松明の炎しかない。闇に紛れるといってもフリードの褐色の肌と鎖に気づかれてはおしまいだ。  身を屈めながら向かった先には物見の塔がある。その中に一時隠れようと息を潜めるが、ちょうど天高い塔へ続く階段から下りてきた兵士と顔を突き合わせてしまった。 「黒い肌……!?」 「よう」  兵士は動揺したものの、すぐに唇を引き結んで腰に佩いた剣を抜いた。脅すだけで殺すつもりはないのだろう、剣先をフリードに向けたままにじり寄った。フリードは鼻を鳴らし、臆している様子の兵士に向かって勢いよく身体をぶつけた。  昏倒した兵士の上に馬乗りになり、その側頭部めがけて鎖が巻かれた手を振り下ろすと、男の頭が事切れたように力を失って傾いた。  兵士が気絶している間に、彼が落とした剣を脚で押さえ、刃に鎖を巻き込む。塔の陰に隠れながら刃に鎖を何度も押しつけ擦ると、フリードの膂力で手首の拘束は間もなく楽になった。 「さて、俺も行くか」  刃はいくらか毀れてしまったが、敵の肉は切れなくとも撲殺くらいはできそうだ。剣を拾い上げたフリードは塔の陰から外門の様子を見やった。  軍馬が駆ける轟きと兵士たちの雄叫びが地から湧くように聞こえてくる。コールマンの兵士たちが閉門しようと大勢で門扉に群がるのを、跳ね橋を渡って辿り着いたガーランドの兵士たちが逞しく馬を駆らせて推し通る。すぐに剣戟の音と兵士の短い悲鳴に包まれ始めた。  城の内側からも、騎兵を先頭にしておびただしい数の歩兵が剣や槍を手に飛び出してくる。城壁の内側へ押し入ったガーランド軍とコールマン軍は正面から相対し、間もなく激しい戦闘となった。刃が肉を断つ音と、喉に血を詰まらせた男たちの悲鳴。予想外の敵襲に見舞われた今、コールマン軍の士気は高くはない。この分だと大きな損害を出さずに要塞を落とせるだろう。    真っ黒だった空がわずかに明るさを帯び始める。猛攻を続けるガーランド軍にコールマンの兵は内門付近まで後退し、防戦を強いられていた。内壁周辺では敵味方入り乱れ、血と泥の匂いが立ちこめている。城壁の上の歩廊にはコールマンの弓兵が弓を構え、地上のガーランド兵目がけて矢をつがえている。 「裏切り者が!」  憎悪の叫びを上げて襲いかかるコールマン兵の刃を、フリードは片手に持った剣で弾き返した。切り返した刃で相手の正面を横に薙ぐが、切れ味の悪い剣では防具を断って肉まで届くことはなかった。足元に転がっていた死体の手から剣を奪い、敵の腹に突き刺す。鈍い音とともに兵士はゴボリと口から血を溢れさせ、フリードが剣を引き抜くと地に伏して絶命した。  「クセルはまだか」  顔に飛んだ血と汗を手の甲で拭いながら独りごちた。ガーランドが優勢といえども、敵兵の数は多く手間取っている。コールマンの指揮官さえ討ち取れば決着はつくのだが。  フリードのすぐ側で、ガーランドの兵士が突然倒れた。その背には深く矢が刺さっており、間髪置かずフリードの足元にも数本の矢が突き刺さる。  物陰に逃れて血と油で濡れた剣の刃を袖で拭いながら、ふと城壁の上を仰ぎ見た。弓兵も厄介だった。ガーランド軍も城壁にかけた梯子から歩廊に上り弓兵を討ち取ろうとするが、到達する前に顔面に矢を受けて地上に落下する者がほとんどだった。  不意に、城壁の上に見慣れた金髪の姿を認める。

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