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助ける*流血描写
城壁の上に見つけたツチラトの姿に、フリードは思わず舌打ちをした。
「あの馬鹿」
数人の味方を引き連れた青年は、城壁の上で剣を携え弓兵を援護するコールマン兵と対峙していた。ひとり斬り伏せるが、同時に味方の兵士が弓兵に射抜かれる。そこへ内側から梯子を上って到達したコールマン兵が背後に迫るのを見て、フリードの身体は咄嗟に物陰から飛び出していた。
剣戟と矢の雨を躱しながら壁際まで一息に駆け、新たに梯子を上り始めた敵兵の足を斬りつける。ぎゃっと悲鳴を上げて落下した敵兵が「やめてくれ」と叫ぶのを聞かず喉元に刃を突き刺し、剣を抜いて梯子を上り始める。時折降ってくる矢を刃で払い、驚く早さで城壁の上に頭を出したフリードは弓兵が新たな矢をつがえる前にその脛を斬りつけた。歩廊の上に乗り上げ、身体を入れ替えるように弓兵の腕を引き空へ放り出した。悲鳴が尾を引いて遠のき、見下ろした地上に落下した身体は悲惨な音を立てて潰れた。
数メートル離れた場所にツチラトの姿を見つける。周囲に弓兵の姿はすでになかったが、正面に三人の歩兵と対峙していた。フリードが梯子を上っている間に味方は絶命したようで、ツチラトひとりだった。背後にはじりじりと剣を手にした敵兵が迫っていた。
逡巡なくフリードは剣を逆手に持った右腕を後方へ引き、ありったけの力を込めて前へ振り切った。刃が空を裂き、ツチラトの背後に迫っていた兵士の頭部に突き刺さる。兵士の身体は傾き、城壁の下へ落下していった。
自分の身を過ぎていった刃とフリードの姿に気づいたツチラトは、驚愕したように目を瞠った。半開きになった口元が音をなそうと動く前に、フリードはこちらを振り返った兵士と対峙することになった。
「コールマン家の裏切り者か……!」
既に何度か罵られた言葉だが、その呼び名は何とも愉快だ。確かに彼らにとってフリードは裏切り者なのだろう。彼らの仕えるターイン・コールマンの要塞を奪いに来たターイン・コールマンの弟。捕虜にされたガーランドから逃げ出してきたと思いきや、敵に寝返り兄の兵を斬殺している男だ。
三人のうちの二人が身体を翻してフリードに向かってきた。咄嗟に足元に目を落とし武器を探すと血と死体の中に短剣を見つけ拾い上げた。
「ターイン様に歯向かうなど、地獄に落ちろ!」
ひとり目の男の剣を躱し、その間合いに潜り込む。驚き仰け反る男の喉元に刃を突き立て素早く抜いた。頭から血を浴びるのも構わずに、顔を憤怒に染めて迫り来るふたり目へ相対し、濡れた刃で相手の剣を受け止めた。押し切ろうとする相手へ力を返し、身体の正面を蹴りつけると男は歩廊の端から地上へ落下していった。
「お前が落ちろ」
敵ふたりが視界から消え去り、正面ではツチラトが最後のひとりを斬り伏せたところだった。周囲に敵兵の姿がないことを確認し、フリードが顔に浴びた血を拭いながら青年のもとへ歩み寄ると、彼は肩で息をしながらフリードを見た。
「何で」
「は?」
「なぜ俺を助けた。助けなんていらなかった」
折角命を救ってやったのに、ツチラトは不本意だとばかりに目を尖らせ、剣を持った手の甲で汗を拭った。
「何だそりゃ。てっきり礼を言われるもんだと思ったんだがな」
「助けてくれなんて頼んでない。余計な世話だ」
顔を歪めて素っ気なく言い放つツチラトの言葉は本心のようだった。
「そうか。なら前線二度目のガキなんざ放っておけばよかったな」
「お前なんかに助けられるくらいなら見殺しにされた方がマシ――」
最後まで言い終える前に、突然ツチラトの身体が前に傾き地に伏せた。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
城壁から頭を出した兵士がツチラトの足首を掴んでいる。男はツチラトの足を捉えたまま口元に笑みを浮かべると、梯子から身を離した。重力に従い引っ張られていくツチラトの腕を掴んだのは無意識だった。
「ぐっ……!」
重さに逆らえず、フリードの身体は血に濡れた石の歩廊の上に俯せになり、腕だけ投げ出した状態でツチラトの手首を掴んでいた。歩廊から完全に身体が投げ出されたツチラトと、その足を掴んで放さない敵兵の体重がフリードの肩を軋ませる。関節が外れちまう、そう思った時、絶対に離すまいと必死にツチラトの足にしがみついていた男は血で手を滑らせたらしく、悲鳴を上げて地上へ落下していった。
かかる体重が半分に減ったといえども、歩廊の小高い縁に左手をかけて何とかツチラトの身体を支えている状態だ。
「……っ」
地上で頭が割れ手足がおかしな方向に曲がっている男の姿がよく見える。自分の真下を見下ろすツチラトが息を飲む音が聞こえ、フリードは思わず叫んでいた。
「俺を見ろ!」
弾かれたようにツチラトがフリードを見上げる。つい今まで無愛想に悪態を吐いていた青年の顔は強張り恐怖に満ちていた。ここから落ちた者の末路は嫌というほど知っている。
「俺を見ろ」
ツチラトが目を瞠る。腕が限界まで引っ張られて千切れそうだ。防具を着込んだ身体は案外にも重い。肩がミシミシと軋むのに構わず、フリードは渾身の力で掴んだ腕を引っ張り上げた。
「ッ、は、……ッ」
歩廊の上に引き上げられ俯せのまま荒い息を吐くツチラトの横にフリードは仰向けに転がった。胸が荒く上下するのに深呼吸を繰り返し酸素を取り込む。心臓が激しく脈打っていた。仰いだ空は白く、夜が明けようとしていた。
「……んで」
隣から発せられたか細い声に、フリードは首だけを向けた。まだ声を出すのが億劫だ。
「何で」
今度ははっきりと聞こえた。なぜかなど、下らない質問だし、フリードにもわからない。
ツチラトの問いには応えず、フリードは明るくなり始めた空を再び見上げた。
ゴォン、ゴォン、と要塞中に重々しく鐘の音が響き渡る。地上で戦っていた兵士たちは何事かと周囲を見渡す。
フリードは硬い石の上から上体を起こし、目を凝らして壁の中の城を見やった。開かれた城門からひとりの男が出てくる。――クセルだ。
「何だ……?」
荒い息を吐きながらも身を起こしたツチラトがぽつりと漏らす。
クセルはその手に持った丸い物体を、城門の先へ放り投げた。それは赤い線を描きながら低い階段を転がり、激しく戦っていた兵士の足元まで転がって止まった。首のようだ。
「遅ぇんだよ」
汚れた歩廊の上についた腕で体重を支えながら、フリードは明るい空を仰ぎ見た。長い夜が明け、戦が終わろうとしている。
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