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戦の後

 未明から行われていた戦闘は朝日が昇る頃に収束した。城門前に転がされた指揮官の首を目にしたコールマン兵たちは、血気盛んな顔から色と士気を失い、手にしていた得物を次々と地面に落とし降参の意を示した。  ガーランド軍にも少なからず被害は出たが、正面から正攻法で襲撃していたら比べものにならない数の死者が出ていただろう。フリードによる作戦は一応の成功を収めたと言っていい。  残る問題はフリードの次兄、ターイン・コールマンだった。フリードを警戒し王都から軍勢を引き連れて戻ってくる可能性が高い。兵を整えて行軍するとなれば、二、三日の猶予はある。  堅牢なノート要塞。しかし硬い石壁で覆われた城の一室に集まったガーランドの面々の関心は、ターイン・コールマンよりも別件にあった。当然のように招集に参加しているコールマン軍の一部隊長に、胡乱な視線が不躾に集中しているのだ。 「なぜ会議によそ者がいるんだ」  敵意と不信感を隠さないグナイアスの様子に、当人であるクセルは小首を傾げた。自らが作戦に荷担しなければガーランドに勝機はなかったろうに、なぜそのような言われを受けるのかわからないといった風に。  クセルの隣に立つフリードは本人の代わりに口を開く。 「よそ者じゃねえ。俺たちに協力してくれた」 「俺たち?」  苦い表情をしたグナイアスはぴくりを片眉を跳ね上げる。その横で、いつもフリードに対して牙を剥くツチラトは黙って叔父と仇のやり取りを見守っていた。フリードはいつになく大人しいツチラトを一瞥し、再び視線をグナイアスへ戻した。 「ガーランド軍を中へ招き入れたのも、コールマンの指揮官の首を取ったのもこいつだ。クセルがいなければ要塞は奪還できなかった。十分味方と言えるだろう」 「この男はコールマン家に忠誠を誓っているのではないのか」  硬い声音で詰問したグナイアスは嫌悪を滲ませた隻眼で、コールマンを裏切った男を射抜く。クセルはたじろぐこともなく、目を瞬かせると飄々と言った。 「もちろん、誓ってますよ」 「それならばなぜ味方を裏切るような真似をした」 「俺が忠誠を誓っているのはフリード・コールマンだからです」  クセルは肩を竦め平然と言ってのけた。だそうだ、とフリードがアリューシャ家のふたりを見やれば、ツチラトがぼそりと「余計に、信用できない」と漏らした。 「あ?」  鋭い眼光を向けるとツチラトは不意に視線を逸らす。  窮地を救ってやったというのに、その言い草は何だろうか。むっつりと口を引き結んだツチラトの横顔を見つめるフリードに、クセルは極めて明るい声音で「隊長、嫌われてるんですか?」と惚けた問いを寄こしてきた。自らに起因する不穏な空気の中、場にそぐわない呑気な調子にフリードは男をギロリと睨む。 「見ての通りだ」 「隊長は傲岸不遜ですからね。好む人の方が少ないでしょう」 「堂々と悪口を言うな」  フリードの諫めに対しても飄々として灰色の頭を掻いた。  クセルには掴み所がない。そのため余計にグナイアスたちの不信感を煽るのだろう。 「貴様の言うことなら何でも聞くと言っていたのはこの男のことか」 「そうだが」 「貴様との関係は」 「元部下と言ったところか」 「我々の敵ではないと証明しろ」 「証明?」  隻眼に射抜かれたクセルが、露骨に面倒くさそうな顔で唇を突き出す。投げ出した両手をひらひらと振った。 「あんたらを害するつもりなんてありませんよ。指揮官の首を持って来ただけじゃ足りませんか?」  それまで沈黙を守っていたロトが静かに唇を開く。 「要塞を奪還するのに協力してくれた上で疑うのは申し訳ないが、こちらも確信を得たいのだ。今後も信用に足る人物だと」  グナイアスとは正反対に、ロトの言葉の端には敵意がない。クセルも納得し「そうですか」と前置いた。 「コールマンの重要な情報を教えたら、信じてもらえます?」 「もちろんだ。教えてくれ」 「隊長の一番上の兄上についてです。上の者たちが話しているのを聞いたんですが」  長兄と聞きフリードの片眉がぴくりと跳ねる。フリード自身も知らない情報だろう。金色の目を眇めクセルを促すと、軽薄な笑みを浮かべていた男は唇を引き結んで頷きを返した。 「コールマン家の長男ウィリックは、殺された前王の娘と結婚するようです」  クセルの口からもたらされた情報に、みな表情を強張らせた。 「王族と結婚か」  兄に関する思ってもみない事態に、フリードは切れ長の目を細め空を睨んだ。胸の前に組んだ腕が皮膚を強く掴む。同時にロトも顎に手をやって「まずいな」と深刻そうに呟く。 「それは真新しい情報か、クセル」 「いや、二ヶ月前には聞いた話ですね」 「じゃあ俺が知らされていなかっただけか」  幾度となく知らせる機会はあっただろうに、コールマン家の一員であるフリードが実兄の婚姻を知らされていないのは明らかに故意だろう。重要な情報の共有先から除外されるのは今に始まったことではないが、不愉快には変わりない。  ロトが顔を顰めながら口を開く。 「前王の娘というのは、王城に幽閉されている息女のことでいいな」 「ええ。王が死んだ当時はまだ五歳、殺されずに捕囚にされていました」 「今は十五か。十分に子が産める年だな」  いかにも父や兄たちが考えそうなことだ。王を殺害しクーデターを起こして十年。王都システィーナを支配し数多の貴族を配下に収めながら、密かに囁かれる反感や王殺しの称号を消し去ることはできなかった。コールマン一族であるフリードも、コールマンの領内にいながら自分たちを快く思わない者たちから白い目を向けられた経験はある。 「人狼族は混血を忌避しているんじゃなかったか?」 「王の娘と結婚して尊王派の連中を引き入れる、王族の血を引く子どもを産ませて正統性を得る。……てめえが、あるいは生まれる息子が王位継承権を持つことができるのなら、二十も年下の、人狼族じゃない人間の娘と結婚することに何の躊躇いもないだろうよ」  フリードは唇を歪ませて笑った。混血である自分を散々忌避してきた兄が、混血の子どもの父となるのだ。一体どんな心境か、本人に問い質してみたいところだ。   ウィリック・コールマンは三十も半ば、対して前王の娘は十五の少女。今や後ろ盾も何もない捕囚である娘に拒否権はないだろう。それを思ったかツチラトは「可哀想だ」と不快げに吐き捨てた。 「可哀想でも何でも、兄は娘に男子が生まれるまで子を産ませるだろう。そうしたら兄は正統な王族の男子の父、俺の父親は祖父だ。ただの、王を殺した人狼の一族ではなくなる訳だ」 「コールマンが国を治める大義名分を得てしまうな」  グナイアスが険しい隻眼を細める。 「やむを得ずコールマンの傘下に下っている貴族たちも、奴らに従う他なくなる。そして、コールマン家に敵対している我々ガーランドの立場も悪くなる」 「……いや」  ロトは顔を上げて、顔を強張らせる男たちを見回した。 「あくまで王を選ぶのはクメルス家の巫女だ。王族の血筋の男子が新たに誕生しても、巫女がいなければ即位はできない」  確かにロトの言う通りだった。巫女が過去の王の霊と対話し、新たな王を選ぶという手順を踏まない限り、正統な王としては認められない。だが父や兄たちがパルテアの伝統としてそれを重んじるかどうかも問題だ。 「奴らはきっとそんなこと気にもしないだろう。それにクメルス家は南に放逐された身だ」 「だからこそ、我々ガーランドがクメルスを味方につける必要がある」  ロトが毅然と言い放った言葉に、フリードは眉を顰めた。その理由を問おうと口を開いた時――唐突に視界が揺らいだのだった。 「フリード?」  わずかに驚きの滲んだロトの声。突然膝の力が抜けたフリードにはその姿は見えず、床に伏せる直前で強い力に肩を引かれる。緩慢な動作で見上げるとクセルが目を丸くしてフリードの腕を掴んでいた。 「隊長」  フリードを呼ぶクセルの声が珍しく動揺している。彼の緑色の目に焦点を合わせると、ようやく自らの状況が見え、覚束ない足裏から震えが這い上がってくる。  まずい、と脳が警告していた。 「悪い……少し疲れてるみてえだな」  平静を装った言葉も、発してから声が震えていることに気づく。気遣うクセルの肩を借りながら立ち上がるが、糸が切れたようにまるで膝に力が入らない。 「少しどころじゃないぞ。どこか負傷したか」 「問題ない」  心配そうに近づくロトが間合いに入る前に、獣の鋭い眼光で見据えると、ロトは訝しげにしながらも「そうか」と頷いた。  ツチラトとグナイアスの怪訝な視線が突き刺さる。視線を感じると身体の内側からぞわぞわと悪寒が立ち上り、鼓動が無意識に速まっていく。息苦しさを誤魔化そうとわざと深く呼吸をした。 「――とりあえず、この件は今議論しても仕方ないな。今はターイン・コールマンに備えねばならん。皆休憩を取ってくれ。夜にまた集まろう」  ロトの合図で即席の会議はお開きになった。フリードに一瞥をやってからツチラトは即座に立ち去ろうとするグナイアスの後を追った。   「フリード。お前、本当に大丈夫か? 具合が悪いんだろう」  部屋に残りフリードを気遣うロトの声が頭の中に響く。相変わらずクセルに身体を支えながら、ゆるゆると首を振る。 「平気だ。少し寝れば、治る」  見え透いた虚勢であることは彼の目には明白だっただろう、ロトは呆れたように溜め息を吐いた。 「衛生兵を呼んで来させよう。必要なら薬を貰え」 「いらない」 「悪いが平気そうには見えんぞ。お前の兄が攻めてくるんだ、お前には早く回復してもらわないと」 「大丈夫ですよ、参謀殿」  耳のすぐ傍でロトとは対照的な呑気な声が響いた。フリードの肩に腕を回して支えるクセルが、普段の軽薄な笑みを貼り付けている。 「俺がついてますから大丈夫です。参謀殿もどうぞ休んで」 「任せて大丈夫か?」 「もちろんです。隊長のことは俺に任せてください。あんたらよりは気安い仲ですよ」  あくまで穏やかだが、クセルの言葉の端には剣呑な色が見え隠れしていた。ロトも執拗な男ではなく、クセルの拒絶を読み取ると「何かあれば呼んでくれ」と言い残して去って行った。  部屋の扉が閉まりロトの背が消えた瞬間、無理に身体を支えていた膝が崩れ落ちた。クセルの支えを失い、床に腕を突いて深く呼吸を繰り返す。いつの間にか湧き出た汗が額から地に落ちた。 「隊長」 「う……」 「ほら、隊長、立ってくださいよ。移動しますよ」  傍に屈んだクセルに腕を掴まれると、触れられた箇所から痺れが走るような感覚がした。びくりと肩を跳ねさせたフリードに構うことなく、ロトは強引に肩を担いで身体を起こす。 「うわ、重」 「うるせ……」 「ちょっと自分の足で立つ努力してくださいよ。隣の部屋にベッドありますから、そこまで頑張って」  引き摺られるようにして身体が進む。会議を行ったこの部屋の奥にはもうひとつ扉がある。クセルは耳元で「何で今なんだよ」と、辟易の言葉とは裏腹にうんざりした様子もなく、半笑いで呟いていた。

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