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scene.7 隠し扉のような心 ―side Yuuma.―

 みわ子さんの家から俺たち二人が自宅マンションに戻ってきたのは、その日の夜の7時過ぎくらいだった。  受験会場に行っていた航太は既に戻ってきていて、共用のリビングでテレビを見ていた。 「…お帰りなさい」 「ただいま、航太君。遅くなっちゃってごめんね」 「いいえ、別に。今日はありがとうございました」 「受験の手応えはどうだった?」 「自分の出せる全ての力は出してきましたよ。後は明日の結果次第です。…父とは帰りが一緒じゃなかったんですか?」 「うん。途中までは一緒だったけど、明日の支度があるからって事で、今は店舗の方に行ってるよ。こっちの店舗で大事な予約が入ってるんだって」 「…どうせオレを避けてるんでしょう。…あの人は昔からそうなんですよ」 「うーん、そうかな?…そんな事ないと思うけどな」 「…父はオレに弱みを握られてますからね。それに、オレが真性のゲイだって事も恐らく気付いているんでしょう。…真実を知るのが怖いんですよ、あの人は」 「弱みってそんな…自分の父親なのに」 「父親だからですよ。自分の身近にいるからこそ、なんです。…あれだけのルックスの40代バツイチですから、どこで誰があの人を狙ってるか分からないじゃないですか」 「それは男女限らずって事でいいのかな?」 「そうですよ。まず女性なら絶対的に狙ってくるでしょう。彼女達からすれば父はいわゆるイケメンらしいですからね、一般的には。…だけど、オレのような同性愛者にも狙われやすいんですよ、父のようなタイプは」 「そうなの…?」 「そうですね。…弱いんですよ、あの人は。誰にでも優しすぎるから」  航太の言葉を聞いて、俺ははっとなった。 言われてみれば、確かに航太の言葉にも一理ある。実際にそういう場面に立ち会った事がないとも言い切れない。  なにせ芝崎護という男は、他人に尽くすのが大好きな自己犠牲精神の塊のような人間なのだ。いつも自分の事よりもまず他人の気持ちの方を優先してしまうので、なかなかに本音を掴みきれない所もある。   それならば、航太の言う芝崎の「弱み」とは、いったい何の事なんだろうか? そんな事を考えていたら、しばらくして玄関のドアの開く音が聞こえてきた。どうやら芝崎が店舗から戻ってきたようだ。 「ただいま」 「あ…。お帰りなさい」 「結真君。申し訳ありませんが…ほんの少しの間だけ二人にさせてもらっていいいですか」 「…はい。じゃ俺は部屋に居ますんで、話が終わったら声を掛けてください」  珍しく芝崎がそう言ってきたので俺は自室に戻って、二人だけの話し合いの場を提供してあげることにした。だがしかし、不思議なことに芝崎親子の二人との間に流れている不穏な空気感を、何故か部屋に戻っているはずの俺も感じていた。  少しでもその気を紛らわせようと、俺は部屋のチェストに飾られているオルゴールの蓋を開け、そこから流れてくる独特のメロディーに静かに耳を傾けた。たったそれだけの事だが、俺のざわついた心が静まっていくのが分かる。  それは以前、芝崎自身が長く持っていたものを俺の為にと言って、わざわざこの部屋に置いてくれたものだ。実は俺も同じものを持っていたはずなのだが、長き年月を経ていくうちにいつの間にか忘れてしまった。このオルゴールが俺と芝崎との心の距離を近づけ、それぞれが抱えていた重い枷を解き放ってくれた、俺達二人にとっては本当に大切なものなのだ。 「時計の眠る場所、か…。」    この曲を最後に聞いたのはいつだっただろう。恐らくもう随分と昔の事で、その頃の記憶も何だかおぼろげだ。  当時の俺は世の中の全てが自分の敵だと思い込んでいて、誰も俺の事なんか分かってくれないんだとずっと心を閉ざし続けていた。  そんな時、この曲を聞いていると俺は不思議と安心できたのだ。この曲の歌詞に込められた思いが、俺の心の本音を全て吐き出してくれている…ずっとそんな気がしていた。  …あれから数十年の時が過ぎ、俺の心の中で止まっていたはずの時計は、芝崎との出会いと再会をきっかけに、再びゆっくりと動き出している。  ――またいつ止まるかも分からないような、紙一重の怖さを抱えながら。            

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