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第54話 羨ましい距離感。
昼間の軽快なジャズの音色にも、俺の身体がノる事は無くて.....。
只々、昨夜の正臣との会話を思い出していた。
『家族』という言葉の響きにはなんとなく違和感を覚える。だって俺は完全に部外者。
「ねえ、ハルヨシくんの彼女ってどんなタイプ?」
「え?」
ブローに入った大学生の女性客に訊かれて一瞬手が止まる。
半年前からこの店に通ってくれている娘で、最近やっとブローが任される様になった俺は三度目の担当。
にしても、いきなり彼女の事を訊かれるのはちょっと驚き。
「えーっと、今の所彼女は居ません。でも、好きなタイプは.......明るくて積極的な人、かなー。」
そんな事を云ってしまえば、鏡の中で嬉しそうに笑うカノジョ。
ドライヤーをかけ乍らの会話は、結構大きな声で話すから周りの人にも自然に聞こえてしまう。
「ハルヨシくんフリーなんだぁ~、いい事聞いちゃった。誘っちゃおうかな。」
隣の席でカットをされている少し年上の女性客に云われて焦る。
「あ、有難うございます。でも、......今は独りがいいので。」
なんて事をバカ正直に答えるもんだから、先輩スタッフには苦笑されてしまう俺。
こういう会話、正臣ならもっと軽ーくかわして相手をいい気分にするんだろうけど。俺には無理。ホントに誘われたら困るし.....。
「ハルヨシくん可愛いから女の子が嫉妬しちゃうよね~。その赤いヘアもすっごく似合ってるし。」
「あ、どうも.......。この色は大原さんが染めてくれて、結構気にいってるんで。」
そう云うと他の人達からも似合うよー、と口々に言われて嬉しくなる。
- 俺がおだてられてどうするっ!!
接客業の基本。ひとつでも良い所を見つけて褒めてあげる。それだけで、お客さんは気分も上がって、また此処へ来たくなるんだよな。それは心からそう思っていないと嘘っぽくなるし、自然に口から出る様になったらいいんだけど.........。
俺はどうも苦手で。
褒められると嬉しくなっちゃうくせに、人の事は素直に褒められないんだ。
自分の性癖を隠してきたせいかな......。
どうも、殻にこもるところがあるのかもしれない....。もっと積極的にならなきゃいけないのに。
鏡の中のお客さんに微笑みかけるのが精一杯で。
今日もこうやって一日が過ぎてゆく。
その晩は、店が終わってからカットの練習をする為、大原さんの知り合いが来てくれることになった。
本当は正臣の事が気になっていて、家に戻りたかった俺だったが、そこはやっぱり仕事優先だし。
一人でも多くのカットを出来る様にならなければ、一人前にはなれない。
次の店で、またアシスタントから、なんてイヤだもんなー。
店にあるヘアカタログに目を通していると、やって来たのは昨夜会ったチハヤさんだった。
ドアを開けるなり優しい眼差しを向けられる。
「こんばんは、よろしくねー。」
「あ、こんばんは。お願いします。」
ちょっとだけ緊張するが、奥から大原さんが出てくると「いらっしゃーい。どのぐらい切る?お髭も剃っちゃおうか?!」と嬉しそう。
「バーカ、髭はいいんだよ。」
相変わらずの二人の会話は心地よいものだった。過ごして来た年月の長さを感じさせられる。
シャンプーをしたのは大原さんで、その間も二人で笑いながら何やら話していて、俺はちょっと蚊帳の外って感じ。
二人の仲の良さを当てつけられているみたいだった。
「どのぐらい切っていいですか?」
チハヤさんに尋ねると、「そうだなー、肩ぐらい。」と云われた。
「もうずっと長いままですか?」
「ああ、中学生の時から首が隠れるくらいの長さだったな~。楽でいいんだよね、縛ればいいし。」
男性のロングヘアも珍しい訳じゃないが、この人の場合は顔立ちが綺麗系だから余計目立つんだろう。
髭さえなければいいのになー、なんて大原さんには叱られてしまいそうな程鏡の中の顔を見つめてしまった。
「ハルヨシくん、真面目にカットしてね。僕、後ろでチェックしてるからね。」
大原さんがすかさず後ろに立つと云った。
さすがに前の様な手とり足取りはないけど、近づかれるとちょっとだけ焦るんだよな。
「おーはら、先輩ぶってるな~、ははは」
笑いながら、チハヤさんが俺と大原さんの顔を交互に見ると、大原さんは「先輩だもんね~!」と言ってまた笑った。
チハヤさんのしなやかな黒髪をハサミの先で切りそろえていく。
指先でリズムを刻みながら、後ろの大原さんにも気を配ると、ほんの5センチほどのカットを終えた俺は、「どうですか?」と尋ねた。
返事をもらうその数秒間が、俺の中で一番緊張する時間。
「.....いいよ。ありがとう。」
そう云うと俺の後ろの大原さんを見て頷いた。
これは大丈夫という事なんだろうか........?
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