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第60話 恋が辛いだなんて。
人前で泣いたのなんて小学生の時以来。
こんなにも情けない気持ちになった事なんかない。
正臣を諦めようとした高校時代だって、泣いたりはしなかった。なのに.................。
「.........ハルミ..........」
正臣が俺に声を掛けると、グッと肩を引き寄せた。
その勢いで思わず胸に顔を埋める格好になると、Yシャツのネクタイが俺の顔に当たって涙を拭う。
「ぁ、汚れる....」
慌てて顔を離そうとする俺の背中を正臣は力を入れて抱きしめてきた。
その胸の温かさに、俺の心は揺らぐ。
頭では分かっている。こんな関係がダメだって事。
でも、そんな事を頭上の高い棚の上に置いて自分の気持ちに向き合うと、この胸の中でずっと正臣の温かさを感じていたいと思ってしまうんだ。俺だけを見ていて欲しいと。
「ごめん、.......ハルミを泣かせたかった訳じゃない。オレが自分の欲求を通したいとわがままを云ってしまった。オレは、オレの大事な人に幸せになって貰いたい。たったそれだけの事なんだ。」
正臣の声は俺の額に掛かる前髪をかき分ける様に響いて、ゆっくりと胸の中に浸透してくると、尚も涙は頬を伝った。
こんなに辛い恋はない。今までの、気付かれない恋心より、もっと切なくて辛くて......。
溢れる涙は枯れる事を知らないように、とめどなく流れる。
正臣は、俺の頬にくちびるを寄せるとそっと口づけた。なだめる様に優しくキスをされると、閉ざした心のカギを開いてしまいそうで、掌を正臣の胸に置くとゆっくり身体を遠ざける。
「.........ハ、ルミ.........?」
「今夜は帰って。..........俺もゆっくり考えたい。一旦無かった事にしてって云うのは変わらないけど、正臣の事は好きだし俺だけのお前でいて欲しいってのも本心。でも、無理なのも分かっている。」
「そうか...............。分かったよ、また来る。ハルミに分かってもらえるまで、オレは何度でも顔を見に来るからな。」
少し猫背になった正臣が、そう云うと玄関へ向かった。
その姿を見送りながら、俺はゆっくり涙を拭ってシャツの袖で頬を擦った。
「おやすみ」
「おやすみ........」
短い挨拶を交わすと、たった一枚の扉を隔てて俺と正臣は自分の世界に戻って行く。
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