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第68話 俺だって色々あるんだ。

 いつもの様に珈琲をセットすると、俺は着ている物を全て脱いで洗濯カゴに放り込んだ。 ジャケットはクリーニング用の袋に入れて玄関の隅に置く。 (後であそこのクリーニング屋へ行ってこよう) そう思いながら、クローゼットからTシャツとスウェットパンツを取り出して着替えるとカウンターチェアーに腰掛けた。 まだ身体に残る正臣の肌の感触と、なぞられた指の痕。自分の身体を包むように腕を回してみれば、さっきまでのむつみ合いが頭の隅にこびりついて離れない。 なのに、フッと我に帰れば又寂しさが押し寄せてくる。 珈琲をカップに注いで一口飲んだ時だった。 スマフォの通知音が鳴る。 バッグに仕舞ったままだったのを思い出すと、引っ張り出して確認した。 『明日の晩、店が終わったら会えないか?迎えに行く。』 短い文面を眺めながら、俺はそのままそっと閉じた。 正臣からのメールに、飛びついて返信する気にはなれなくて、俺の身体は確かにアイツを欲しているのに、心が拒んでいるかのようだった。閉じたスマフォはテーブルの上に置いたまま。 いったい自分が何をしたいのか分からなくなってくる。 正臣と、どうなりたいんだ? ミキさんと涼くんから奪えるのか? 二人を不幸にしてしまわないのか? 俺は、正臣は、それで幸せになれるのか........? とりとめのない疑問ばかりがぐるぐると巡り、いつの間にか珈琲はカップに半分残ったまま冷めきっていた。 - - -  夜になっても返信はしないまま、長い夜を過ごした俺は、翌朝いつも通り店へと向かう。 カギ当番のスタッフが一足先に店内の観葉植物に水をやっていて、俺は「おはようございます」と挨拶をするとスタッフルームへ入った。 「あ、おはよう。ねえ、今夜ヒマ?」 「は?」 朝から、突然そんな質問をする大原さん。真っ赤なTシャツに黒のリブパンツ姿で今日はスポーティーな装い。 「今夜って...........、まだ店も開いていないんですけど。」 ちょっと不愛想に答えると、尚も俺の近くに寄ってきて「どうよ?!暇か、忙しいのか、どっち?」と訊いた。 昨日の正臣からのメールが頭の隅で眠っていたが、俺は「暇ですけど。」と答える。 その言葉で機嫌を良くしたのか、大原さんは俺の腕をグイッと引き寄せて小さな声で「オーナーと会うんだけど、一緒に来る?」と訊く。 「えっ、...................え、オーナーですか?!」 焦って声に出してしまうと、大原さんは慌てて俺の口を塞いだ。 「ふぁ?.......」 声の出ない俺が目を見開いて変な声で訊くと、「しーっ、まだあの事は内緒なんだから。」という。 あの事?! .........ああ、確かまた店舗を出店するって話。しかも男ばかりのスタッフで。 俺はコクコクと頷いて、口を塞いだ手を離してもらうと、「すみません、ちょっとビックリしちゃって。いいですけど、なんだか緊張します。」と云った。 オーナーと顔を合わせるのは、多分2ヶ月ぶりぐらい。 普段は本店にいるか、事務所代わりのマンションに居るって話。でも、俺はそのマンションには行った事がない。 出会うのは本店で、一応試験みたいなものがあって、今の自分の技術を評価してもらう時だけだった。 2ヶ月前に云われた言葉は、顔は満点だけど技術が伴ってない、だった。 ちょっと落ち込むよね、分かっちゃいるけどさ。 まあ、顔を気に入られたのは良かったのかもしれない。 だから今回この話が舞い込んできたんだろうし。 俺が一人で頭を掻いて戸惑っているのが分かると、大原さんはクスッと笑う。 「そんなに緊張しない!オーナーの天野さんは歳のわりには気が若いし、チハヤさんとは古い付き合いの人だから。いつもの試験の時はちょっとだけ先生らしく頑張ってるんだよ。」 俺の耳元でそう言って笑うが、俺はやっぱり緊張が解けない。 チハヤさんの名前が出ると、少しだけ安心感はあるんだけど、それでも俺にとっては雲の上の存在だし。 「分かりました。じゃあ、仕事が終わったらお願いします。」 「うん、一緒に行こう。」 軽く俺の背中を叩くと、大原さんは何食わぬ顔で店の中へ消えて行った。 取り残された俺は、やっぱり緊張が走ると、背筋にジワリと汗が伝う気がする。 ―今夜、か.............

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