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第69話 緊張の時。

 今日は、飛び込みで来た高校生の男の子のカットに入る事が出来た。学校帰りにこの店の前を通っていたらしいが、ようやく入る決心がついたとか。そんな事を恥ずかしそうに云うから可愛くなる。 店長が他のスタッフに目配せすると、俺にカットを任せると云われて張り切ったが、実際にお客さんの髪に触れると未だに緊張する。 小学生じゃないし、自分に似合っているかどうかは自己判断できるから。 鏡越しに目が合うと、なんとなく互いに照れたりして......。 「サイドはこんな感じになりますけど、もう少し短い方がいいですか?」 俺が訊いてみるが、カレは顔を横に向けて自分で確認すると首を傾げながら「いいと、思います。」と云った。 カレも今までは理髪店でカットしてもらっていたらしく、この美容室の空気感には慣れない様だった。 慣れない者同士といったところか、気付けば大原さんも店長も俺とカレのやり取りをニヤつきながら見ている。 う、うんっ!!と、咳ばらいをひとつ。 少し周りを威嚇しながらも、俺はカレに似合うヘアスタイルを頭に重い浮べてカットする。 髪質はほんの少し硬め。 でも、毛の流れは素直で変なくせもないからカットはし易かった。 前髪は自然に流して目にかからない様に。サイドは耳に少し掛かる程度の量を残して、襟足はもたつかない様に短め。 少し垂れ目の可愛い感じのカレには、全体的に甘めのスタイルにしてみる。 「いかがですか?」 最後のハサミを入れ終わって、鏡の中のカレに訊いてみた。 「.........ぁ、はい、............いいです。ありがとうございます。」 「はい、じゃあ、流しますね。」 そう云うと、アシスタントの洋介くんにシャンプー台へ案内してもらう。 カレが洗い流してもらっている間に、俺の傍に大原さんがやってきて「なかなかイイじゃん。あの子可愛いね。」と云って肘で俺の脇をつついた。 「ちょ、........とぉ........。」 大原さんをけん制しながら、俺はカット鋏みをしまうとブローの準備をした。 でも、心の中ではちょっと嬉しくて。技術を褒めてもらえるのは心地いいし自信につながる。 こうして茶化しながらも褒めてくれる大原さんに感謝も出来るし、カレが本心で気に入ってくれていたらいいなと思う。 どうにかブローも済ませると、カレの髪の毛が艶々で、少ししか歳は違わないのに羨ましくなった。 俺のこの赤い髪。というか、ピンクになってしまったが、コレもなんとかしないとな、なんて思う程。 「ありがとうございましたー。」 笑顔でカレを送り出すと、ホッと胸を撫でおろす。 ふと見れば、店長も他のスタイリストもみんな笑顔を向けてくれていた。 俺はちょっと恥ずかしくなって、俯きながら「どうも、お疲れ様でした。」という。 みんな一度は味わうのだろう、この瞬間。不安な気持ちを隠しながら、プロとしての腕を見せる時、それが正解だったかどうかは次にまたカレがやってきてくれる時に分かる。その時には思い切りの笑顔で迎えようと思った。 - - -  そして夜、俺は店を後にすると大原さんと二人でオーナーの事務所にしているマンションへと足を運んだ。 本店の入るビルは、上の方が賃貸マンションになっているらしく、昔からここで集まっては打ち合わせを兼ねて酒を飲んだり食事をしたり。大原さんの話だと、チハヤさんは高校生の頃ここに入り浸りだったらしい。.............オーナーとどういう関係があるのか興味が湧くが、そこはオジサンたちの事、そっと流しておこうと思う。 エレベーターを降りてマンションの入り口に向かうと、大原さんが俺の背中に手を置いて言った。 「ちょっと驚く事云われるかも、だけど、焦んなくていいから。ゆっくり考えればいいからさ。」 「.........はい?」 まだ何も訊いていない事をそんな風に云われると、余計に緊張するんだけれど...........。 と、思いながらもインターフォンに指を掛けた大原さんが、こちらを見て微笑むから俺も引きつった笑みを浮べる。

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