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第75話 奪える幸せって?
ぐったりとテーブルに伏せたまま、大原さんが籠った声で俺に話しかける。
「ハルヨシくんさあ、僕が言った事覚えてる?.........取っちゃえって云ったのに、まだウジウジ悩んでるんだ?!」
「...........大原さん、........そんな事、云われても。」
ドキリとする。本気でそんな事思っているんだ?!
「無理ですって。俺は大原さんとは違いますから、そんなに自分に自信は持てないし、みんなが不幸になるの分かってて奪うなんて気にはなれないんです。」
と、云ってしまってからマズイと思った。
これって誘導尋問みたいで、俺が正臣の事で悩んでいることを知られてしまったんじゃないのか?と焦る。
「あ、もうそろそろ店にでましょう。店長と代わらないと。」
そう云ってこの場を離れようとするが、大原さんはまだテーブルに額を預けたまま動かない。
「そうやっていつまで自分の心に蓋をしておけるかな?!進むにしても諦めるにしても、どのみち誰かは傷つくんだよ。今更無かった事には出来ないだろ?なら、奪えるものは奪って自分の心を満たしなよ。」
「...............大原さん、...........」
「チハヤさんの大好きだった彼は、死んでこの世には居ない。僕は一生かけてもその人からチハヤさんを奪えないんだよ、悔しいけどね!」
「.....................」
俺は何も言い返せなかった。大原さんの気持ちも分かる様な気がして...........。
ガタッと椅子を引くと、大原さんは立ち上がって俺の横を通り店に入る。
一切こちらには目もくれず、言いたい事だけを云って去ってしまった。
後味の悪さだけを部屋に置いたまま俺も付いて行くが、ジャズの湿った音色が今日は耳障りに感じると、最後の仕上げを始める。
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最終のお客様が店を後にすると、ようやく俺たちもホッとして、それぞれの片付けに入る事が出来た。
洋介くんが、ホウキとチリトリを手にして椅子の下から掃き始めると、スタイリストたちはスタッフルームへと入って行く。
「あ~腹減ったぁ~~~っ!帰りに何か食べていく人~。」
店長が手を上げて連れだって行く人を探す。が、みんな本当に疲れ切っているようで、「帰りま~す。」と口々に云っては帰り支度を始めた。
「.........だよね~、ご飯は又今度な。今日は早く帰ってゆっくりしよう。」
そう云って店長がレジの締めをし始めると、俺たちも雑誌をまとめたり片づけを手伝う。
俺は入口のカギを掛けると、それをカギ当番に渡した。
その間も、大原さんは俺と目を合わせないまま。少し心に引っかかるが、洋介くんとカギ当番を残して俺たちは店を出た。
「お疲れ~」
「お疲れ様でした。」
店を出てそれぞれに別方向へ歩いて行くと、俺もマンションまでの道を急いだ。
本当に、早く帰ってゆっくり浴槽にでも浸かりたい気分。空腹ではあるが、なんだか食欲もなくなってしまった。
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