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第87話 温かいひと時。
相変わらずの真っ赤な扉を押し開けて中に入れば、「いらっしゃ~い。」という聞き慣れた声がして、俺と大原さんの事を手招きしているチハヤさんの姿があった。
綺麗な顔にそぐわない顎髭が、ほんの少し伸びている様な気もするが、俺が気づくのと同時に大原さんも「チハヤさん、ヒゲカットしてあげようか?!少し伸びたね~」と言って傍によると指先で触る。
「ああ、サンキュー。ちょっと無精しててな。」
チハヤさんは大原さんの指をそっと掴むと自分の口元に持っていった。
何気ない仕草に、変だけど嫉妬の様な感情が芽生える。
別に、俺はチハヤさんに対して尊敬以外の気持ちは無かったが、目の前でこんな風に見つめ合ったりされたら.............。
なんていうか、のけ者にされた様な気がするんだ。まるで子供みたいなんだけど.....。
「体調は良くなったのか?」
「あ、はい。もう大丈夫です、ありがとうございます」
心配そうに俺の顔を覗き込むから気を良くしてそう答えると、チハヤさんもニコッと笑った。
「ねえ、何飲む?」
突然、大原さんが俺の肩を叩くと訊いてきた。
「え、っと......何でも。あ、でも弱いのにして下さい。」
「オッケー、じゃあカクテルにしようかな。えーっとねぇ、ハルヨシくんは『キール・ロワイヤル』食前酒にイイから。僕は『シャンパン・カクテル』で。」
スラっと注文をすると、大原さんはテーブルに肘をついて俺の方を見た。
「え?........なにか?」
戸惑いながら訊くと、口元をあげてニヤッと笑う。
なんだか気持ち悪いな.........。たまにこういう顔で俺を見るんだよね。何か言いたげで、そのくせフイッと横を向いて視線を逸らされる。
「今日は酔いつぶれても迎えは来ませんから。正臣は出張らしいんで。」
訊かれてもいないのに、そう言ってしまった俺に、大原さんは「あははは、おもしろいね!それ、気にしてたんだ?!前に迎えに来てもらった時は、顔を出さなかったって聞いたけど。」と言って笑う。
「ああ、そうだった。先にハルミくん帰っちゃうんだもんな~。結局彼の顔は見れずじまいだ。」
チハヤさんまでそう言って笑うと、目の前に赤みがかったカシスにシャンパンを加えたキール・ロワイヤルの入ったグラスを置く。
シャンパンの小さな泡が、表面に立ち昇っては消えて行くのを見ていると気分が落ち着く気がした。
グラスを手にした俺は、「あの頃は、自分がゲイだって事を隠していたんです。だから必死で此処へ来るのを阻止しようと....。」と云って指の腹でグラスの表面を撫でた。
「そうだったんだ?!.........まあ、でも分かり合えて良かったよね。カレもハルミくんの事を好きだって云うんだろ?」
「...............ええ、まあ、.............」
なんだか気恥ずかしい。口元をキュッと結んで眉を上げると肩をすぼめた俺。
人に正臣の事を話すのは、嬉しいような恥ずかしい様な。変な感じだった。
「何か食べるか?」
「うん、適当にお願いします。.........料理は僕の方が上手いんだけどね。」
「おいおい、........オレだって勉強したって!」
「まあね、一応は調理師免許取ったもんね。」
「ったく.........、うちへ帰ったら覚えておけよ?!」
「はいは~い、存分に!」
二人のやり取りを傍で聞く俺は、益々蚊帳の外にいるような気がして。
カウンターに座った俺たちの他には、奥のテーブル席に数人の客がいるだけ。ゆったりとしたジャズの流れる中で、笑い声が響いているけれど、それはなんとなく心地いいものだった。
大原さんとチハヤさんの間には入り込めないが、二人を包む空気は温かい。
蚊帳の外から見ているのも面白いものだと思った。
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カクテルを数種類飲んで、つまみ程度に色々な物を出してくれたので、結構お腹も膨れてきた俺は、そろそろ帰る準備をしようと思い「今夜は有難うございました。」と礼を云う。
「ああ、いいって。僕もチハヤさんの顔が見たかっただけだし。ハルヨシくん連れて来ると、チハヤさんも機嫌いいからさ。」
横目でチラッと確認するようにチハヤさんを見るが、本当らしくてニコリと照れ笑いをする。
その顔に、大原さんは口を尖らせてはいるが、やっぱり微笑んでもいた。チハヤさんを見る目がとても優しい目で、仕事中に見せる 顔とは又違っていた。
「ご馳走さまでした。」
そうお礼を云うと、大原さんも会計をした後で俺に付いて店を後にする。
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