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第96話 なんか新鮮。
玄関を入ってダイニングキッチンを抜けると、リビングへと続くであろう部屋を薄明りの中で見る。
何もない部屋は、暗がりの中でもガランと広く寒々しい様だったが、二人の体温でジワリと熱を持つと、俺たちの周りだけがあったかく感じられた。
カーテンの無い掃き出し窓からは、外の外灯がはっきりと見えて、二人でカギを開けるとベランダに降りる。
「なんか...........新鮮な感じ。」
「え?」
正臣が放った言葉が妙で、俺は顔を覗くように見る。
「いつもは気にしないで見ている夜の風景が、こうやって灯りの無い部屋から見ると空気も違って感じる。」
そんな事を云う正臣。
二人の世界に浸ってしまっていないかと、うすら恥ずかしい気もしたが、それでも言わんとしている事は分かる。
灯りもカーテンも何もない部屋。
ここからスタートするのだと思うと感慨深い。
「来週、引っ越しすんの?」
隣の正臣に訊くと、「ああ、取り敢えずの荷物だけ運んでおくつもり。大きいものはハルミが一緒に住める様になったら見に行こう。」と云う。
「..............うん、そうだな.............」
俺はその言葉に目を逸らすと、遠く夜空を見上げた。
こうして実際の部屋を見てしまうと、一日でも早く一緒に暮らしたいと思う反面、台湾へ行くことの決まっている事実が歯痒くなる。仕事だから仕方がないし、ほんの少し前まではキッチリ分けて考えていたのに.......。
俺は当分あの部屋で暮らすし、台湾へ行っている間は行ったり来たりになるらしい。だから正臣とは別々の暮らしになる事も仕方がない。と、大人ぶっていた筈が、ほんの少しの時間でもいいから、正臣とこうして毎日夜空を見たいと思ったり。
離れて暮らす事を当然の様に考えていたってのに............。
急に寂しさが込み上がってくる。離れたくないな.......。休みが違っても、同じ部屋に住んでいれば毎日顔を見る事は出来るのに。
そんな事が頭から離れなくなると、俺は正臣の肘を掴んで引き寄せた。
「.........ハルミ?」
キョトンとした目で俺を見る正臣は、何かを悟ったのかそのまま俺の肩に手を回すとギュっと抱きしめる。
本当はキスでもしたいところ。
でも、一応ここは外。外灯の明かりで俺たちの姿が誰かの目に映るかもしれない。
「中、戻ろうか。」
「うん、」
明かりから外れた部屋の中に戻ると、正臣は俺に向き合ってそっと背中に手を回す。
そのままゆっくり俺の顔に近付くと、頬に軽いキスをした。
それは、まるで初めてのくちづけを交わす恋人たちの様な、少し照れたものだった。
「早くハルミと暮らしたいよ。」
正臣の声が少しだけ震える。
「............俺だって、..........」
つられて俺の声も震え気味。
与えられた現実が、酸っぱさと甘さを分け隔てて、その狭間で俺たちは耐えるしかないのだけれど、本心を云ってしまえば正臣と離れて台湾へなんて行きたくはない。
このまま、すぐにでも此処に越してきたい気持ちでいっぱいだった。
「台湾の店はもう決まったのか?」
「物件を押さえたって話は聞いた。けど、まだオーナーからは聞かされていないんだ。」
その情報はチハヤさんから大原さんにもたらされたもので、確実な話ではない。
「やっぱり断るなんて出来ないんだよな」
ボソッと呟く正臣の気持ちが痛い程伝わると、俺も泣けてきそうになる。
常識では分かっているつもり。仕事に責任を持ちたいし、台湾での俺の働きを期待してもらえることは嬉しい事だ。
なのに、今は駄々っ子の様に正臣と離れたくないなんて思ってしまう俺がいる。子供か?!
「ずうっと行きっ放しって事じゃないらしい。でも、................正直、行きたくないな。あはは」
笑ってごまかそうとしたのに、正臣は指で俺のくちびるをなぞるとそのままくちづけをした。
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