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第116話 おあずけ。

 人の流れに逆らうように、俺は街路樹のある舗道を走り抜ける。 が、流石にこのまま正臣のマンションまで走って行くのは......無理で。 丁度、目の前に乗客を降ろしているタクシーが目に入ると、閉まりそうになるドアを掴んで「乗っていいですか?」と訊いた。 ハンドルを握ったままの運転手が、驚くように俺を見たが、すぐに「どうぞ。」と言ってくれる。 行き先を告げてから「近くてすみません。」と、一応謝っておくが、車で10分程度の距離だし申し訳ないと思った。 運転手は、別段気にする様子もなく笑顔で会釈をすると、すぐに車は動き出す。俺の心臓は走って来たせいもあって、ドクンドクンと音をたてる様に高鳴るが、正臣の顔を見てなんて報告しようかと考えただけで違う高鳴りが押し寄せてきた。 きっと驚くだろうな..........。 ........アイツ、喜ぶかな.........? ひとり車窓から見えるネオンの明かりにほくそ笑んで、それを運転手に見られない様に顔を擦って誤魔化した。 - - -  あっという間に正臣のマンションの前。 タクシーから降り立つと、レンガ風の外観を下から見上げた。 エレベーターには乗らず、階段で2階を目指せば通路を歩く足取りは軽い。すぐそこに見える玄関の扉が、この間来たときより新鮮に映ると、俺はインターフォンを押した。 - 早く出て来い。 そう呟いて、インターフォン越しに聞こえる正臣の「はい。」という返事を待てない程ワクワクした。 「俺、早く開けて。」 そんな事を云えば、返事も無いままパタパタという音が微かに耳に入る。 「おかえり。」という声と同時に開いたドアをくぐり抜ける様に、俺は正臣の腕を取るとそのまま玄関へと身体を捻じ込んだ。 「お.......、ハルミ、どうした?」 不思議そうな顔をして云うと、正臣は両手でしっかり俺の肩を掴んだ。息はあがっていなかったが、少し頬が上気しているようで、「酔ってんのか?」なんて訊いてくる。 「違うって、ちょっと上がらせて。」 「ああ、どうぞ.......。」 入口から奥へと見える室内の景色は、当たり前だけどこの間とは全く違って見える。 ベランダに抜ける窓には、白いレースのカーテンとグレーをベースにしたジャガード織りの厚いカーテンがしてあって、リビングにはテーブルとひとり掛けのちょっと高そうな椅子。テレビ台はまだ無いようで、床の上にそのまま置かれた40インチぐらいのテレビが幅を効かせている。 「デカくない?!テレビ...........」 正臣に訊いてみるが、「このぐらいはいいだろ?!二人で映画とか借りて観ようぜ。」という。 「あ、そうか.........。そうだな。」 なんだか急に照れ臭くなってしまった。ここで正臣と俺の生活が重なり合うだなんて............。 休日は別々だっていうのに、何故かここでまったりと映画を観ている姿を想像してしまった。 「何か食べるだろ?」 「え?........ああ、そうだ、何か食べに行こうかと思っていたんだった。もう、片付けはいいのか?」 辺りを見ると、殺風景だが片付いているように見えた。本当に荷物は少ない。 「いいよ。取り敢えず、今夜から泊まれるようにはなってるし。風呂場もトイレも綺麗に洗っておいた。あと、布団も干しておいたしな。」 「........ああ、ベッドはないんだっけ。」 「そう、ハルミんトコのを持ってくればいいだろ?!ダブルベッドなんて買うの高いもんな。それまでオレは床に寝る。」 「.............、じゃあ、早速引っ越し業者の手配、だな。」 「え?」 俺を見る正臣の顔が、一瞬だけどニヤッとした。それを見て、俺は喉まで出かかった言葉を止める。一気に報告してしまいたいが、もう少しだけ正臣の不思議そうに目をまあるくする顔を見ていたい。 「何か食べに行こうか?近くにファミレスあったよな。」 「ああ、いいよ。」 ニヤケる顔を見られない様に、玄関の方を見て食事に誘うと、先に靴を履く。 と、後ろから正臣の腕が俺の躰に伸ばされて、ギュっと背中越しに抱きすくめられてしまった。 この、なんとも言えない安心感のこもった抱擁。これが大好きだ。 うなじに掛かる正臣の温かな息遣いも、腕の温もりも.........。俺は、これを手放さなくてもよくなった。 「今夜、泊ってく?」 耳元で囁く正臣の声に、俺の全身が痺れて足の力が抜ける。 「.........うん、そのつもり。」 云った傍から顔じゅうが熱くなるのを感じて、ものすごく恥ずかしい。なんだよ、この会話ー!!!

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