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第5話 親愛なるだれか

「昼だ、起きろ」 目を開けると先生が俺を見下ろしていた。保健室の時計の針は午後12時半を指している。 まだ熱があるのか、体も熱くて起きるのもしんどい。 「おはようございます」 「体調は大丈夫か」 「はい、少しだけよくなりました」 先生はそうか、と一言言ってコップを手渡してきた。 「弁当は、食べるか」 「いえ、持ってきてないんで」 「…?いつもはどうしているんだ」 「いつもは購買のパンです。今日は何も食べる気ないので、いいです」 お茶が喉をつたっていく。冷たい緑茶がいつもよりおいしく感じられる。 一気に飲み干してしまった。 「ありがとうございました」 「おう………お前、なんか悪い夢でも見たのか。さっき、魘されてたけど」 「ゆめ…?」 あまりよく覚えていないが、夢見が良かったことなんて一度もない。 「あんま覚えてないです」 「…そうか」 先生はまだ何か言いたげったがそれ以上言及することもなかった。 「…じゃ、もう少し寝てろ」 「はい」 もう一度、俺の体温で温まった布団を被れば今度は何を考える間もなく眠りに就いた。 あつい、寝苦しい うっすら目を開けるとさっきまでとは色彩の異なる、白ではなくオレンジ染みた色に空間が彩られている。 一体何時間寝たのだろう。体も少しだけではあるが楽になっているような気がする。 自分のスリッパを履いて立ちあがりカーテンを捲ると椅子に座ってデスクに向かっている先生の姿があった。 時計を見ると4時を指している。 「起きたのか、よく寝たな」 「はい」 「寝不足だから熱になるんだ、気をつけろ」 一つ大きなあくびをする。ふぁい、と間抜けな返事になってしまった。 4時になればもう母さんはいない、さっさと帰ろう。 「先生、俺帰ります。ベッド使わせていただいて、ありがとうございました」 「おーそうか、ん、気をつけてな」 鞄をもって保健室を出ようとする。 「あ」 腕をつかまれた。 「ッ、なんですか」 「あんまこんなこと言いたくないけど、ちょっとは我慢しろよ」 「…は?」 「それ」 首元を指さされる。 顔が熱くなるのを感じる。 「明日新しいの付けてきたら生活指導だから」 なんだ、この先生。俺のには興味ないんだと思ってた。 「……はは、そんなことあるわけないですよ…」 ニヤリと笑った。 どこか疑いを含んだ目で俺を見ている。 「…せんせ、痛いです」 きゅっと絞められた手首は、別に痛いほどではなかったが、わざと顔をしかめてみた。 「…わるい」 ちっとも悪いとは思ってなさそうな顔と声でそう言った。 それじゃ、と言って保健室を出る。 二年生玄関へ足早に向かう。熱で体調は良くなかったが、少し走り気味に、向かう。 玄関について、スリッパを脱いで下駄箱に入れる。 ところで、気が抜けた。 「なんだ、これ…」 心臓が痛かった。ドクドクと音が聞こえるほどに、波打っている。 左胸を抑えてへたり込む。授業中の静かな校内に荒い息の音が響いている。 握られた手首の感覚は今も残っている。 あの切れ長で、それでも力のある、綺麗な目が今もなお俺を見ているような気がする。 「は、顔…あつ……」 これは熱のせいだ。そうに違いない、そうじゃなきゃ、困るのに。 「……あほらし…」 自分を嘲って靴を履き替え歩き出す。 四月の夕焼けが俺を包んでいる。 「そら、きれいだな」 誰に言うでもなく、いつもは言わないこんな恥ずかしいことを口走ってしまったのは、きっと鳴りやまない鼓動を自覚するのが怖かったからだ。

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