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第26話
一週間後、示談交渉の話し合いの場を設けたホテルに向かった。
こちらは僕と一縷と一縷の友人の弁護士さん、向こうは飯田と飯田の弁護士さん。
彼を前にしただけで体が震えてきた。
『このような場を設けていただき、感謝致します』
飯田の弁護士さんが謝礼を言ってきた。
自分から言い出した話し合いの場だけど、僕の中には話し合いを一刻も早く終わらせたい気持ちでいっぱいだった。
「とりあえず、お二方ともお座りください」
やっぱり怖い。
先程よりももっと体が震えている。
飯田には気付かれていないだろうが、一縷はもう気付いているだろう。
僕の小さな変化に気付くくらいだから…。
「示談に応じるとはまだ決めていません。今回はあくまで話し合いのみの席です」
『承知しております』
「飯田さんにお伺い致します。どうして今回このようなことをされたのでしょう?」
どうしても彼の口から聞きたかったこと。
彼ほどの人間が法律のことを知らないはずがない。
なるべく毅然とした態度に見えるように精一杯努力した。
「今の法律をご存知ないとは思いません。極刑も免れないような事案ですよ?」
『分かっています』
「それならどうして…」
『単純にあなたが好きだからです』
「はい?」
『東条さんはΩにもかかわらず、すごい功績を残された。しかも、周りの人の第二の性が何であろうが関係なく、分け隔てなく接している。そんな姿を見て単純に惹かれました』
「誰に対しても分け隔てなく接したりしてないですよ。苦手な人だっていますから」
『そんなことありません。私の家は代々α家系で、家族も私以外皆αです。一族では私のみβです。それ故、周りからは疎まれました。もちろん家での発言権もなければ、立場もありません。それを見返すために、大手製薬会社の営業トップになりました。それでも、彼らを見返すには全然足りなかったのです。ただβだからというだけで、ここまで蔑まれなければならないと思うだけで辛かった。そんな時に、東条さんを見かけました。東条さんは誰に対しても優しく接してくれて、最初僕にも優しく微笑んでくださいました。それだけですごく嬉しかった。くだらないことかもしれないですが、私にとってはすごく嬉しい出来事だったのです。その一瞬で惹かれてしまって、少しでもあなたの意識を引きたくてあのような愚行を犯しました。申し開きもございません。甘んじて刑を受けます。申し訳ございませんでした』
「私に番である主人がいることはご存知なかったのですか?」
『知りませんでした。あの日、あなたを抱いた時に首元の噛み痕を見て初めて知りました』
「そうでしたか…。分かりました」
僕は彼の辛さを感じた。
僕自身、大学に通っていた頃、Ωだと馬鹿にされた。
『Ωが新薬開発なんてできるわけがない』とか『新薬開発は優秀なαがやるんだから大人しくしてろ』とか、散々言われてきた。
それでも、僕がめげずにいられたのは、教授の言葉があったから。
『努力している人間を馬鹿にするのは愚か者。そんな愚か者の言葉でいちいち傷つく必要はない。努力はきっと報われるから』
この言葉を言われた時、胸でもやもやしていた感情がスッと晴れて行った気がした。
それからは、愚か者が何か吠えているくらいの気持ちで受け流し、研究に没頭することができた。
おかげで、新薬開発が進み、世界的に販売までされるに至った。
教授の言葉がなければ、今の僕は腐ってしまって、新薬開発なんて夢のまた夢だったに違いない。
彼にも教授のような言葉をくれる人がいたなら、今回のような愚行を犯すことはなかっただろう。
(今度は僕が教授のような言葉を彼に与えられるか分からないけど、教授のようになりたい)
そう思えた。
「今回は示談に応じましょう」
『……………っ!!』
「条件を提示させていただきます。それを承諾していただけるのでしたら、示談に応じます」
『条件とは…』
「今後一切私の前に現れないことを条件とさせていただきます」
『それだけですか?』
「それだけです」
『ありがとうございます』
「ねぇ、飯田くん」
『はい?』
「君は営業としては、すごい才能の持ち主だと思うよ。実際、君が営業してくれたおかげで、売れ行きはどんどん増加した。これは事実だ。君の巧みな話術と営業スタイルは天性の賜物だから、それを活かして磨きをかけていくと、君は今以上に素敵な人になれると思う。だから、これからも頑張って」
『…ありがとう…ございましたっ!』
示談は成立し、解散となった。
「なぁ、あお?」
「なぁに?いち」
「どうして示談に応じた?」
「彼の半生を聞いてて僕と重ねちゃったからかな」
「あおはあんな半生を送ってないだろ?」
「彼の気持ちが分かったんだよ。辛い気持ちが…」
「辛い気持ち…」
「βにはβの、ΩにはΩの、αにはαのそれぞれの辛い気持ちがあるんだよ。それを理解しちゃったから…」
「あおは優しすぎる」
「そうかもしれないね」
「そうかも、じゃなくて、そうなんだ」
「彼、会社も辞めたって言ってたし、これからの方が大変だと思うんだよ」
「そうだな」
「これからの彼に期待して、僕は示談に応じたってのもあるんだ」
「あおがそれでいいなら、俺はそれでいいよ」
「ありがと、いち」
彼は号泣していた。
僕の言葉、少しは彼の心に届いたかな?
教授のように立派な事は全然言えなかった。
だけど、これで彼が救われたのなら嬉しい。
あの事件は今でもトラウマになっている。
これは変えられない事実だ。
だから、彼がこれから頑張るなら、僕もトラウマを克服しないといけない。
そうでないと、偉そうな事を言った手前、格好つかないからね。
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