302 / 369
狂気の果てに浮かぶ月2
瀧田は歌うようにそう言って手摺から離れ、貴弘の横をすり抜けて
「貴方の母親に聞いてみるといい。本当の父親の名前をね」
「……待て……総……。おまえ、何を……言っている……?」
「もしかしたらおじ様もご存知なのかもしれないですよ?……だって貴方、おじ様に少しも似てないでしょう?むしろ、昔、本家でおじい様に仕えていた片岡という男にそっくり」
思いがけない瀧田の言葉に、貴弘は呆然と立ち尽くした。
……桐島の血が……?何を言ってる。何のことだ?……片岡……?
「おめでたいなぁ。これっぽっちも疑っていなかったんですね。苦労知らずの裸の王様だ。嘘だと思うなら、DNA鑑定を受けてみればいい。おじ様と貴方は100%赤の他人ですから。……そうそう、貴方がバカにしていた愛人の子供の都倉秋音。彼の方が桐島家の正統な後継者ですよ。だって彼、おじい様の若い頃の写真に瓜二つだったもの」
嘲笑うような瀧田の声が、どこか遠くに聞こえる。
自分は父に似ていない。
それは子供の頃から自覚があった。大きくて温かくて優しい父。子供心に憧れの存在だったが、父は一人息子の自分には何故かあまり親しく接してくれることがなく、どこかとても遠い存在に思えた。
父に愛人がいて、息子までいると知ったのは、中学生になったばかりの頃。他の人間には優しくて頼もしい父が、何故自分を遠ざけているのか、理由が分かると同時に、母と自分を裏切っていた父を激しく憎んだ。表面上は模範的な息子を演じながら、いつか父を見返してやると、心密かに誓ってもいた。
その父が、実は本当の父親ではない。いや、自分は父の本当の息子ではなかった。母の不義で産まれた子で、憎み蔑んでいた愛人の息子である秋音の方が、父の血の繋がった本当の息子……?
貴弘は、顔を引き攣らせ、乾いた笑い声をあげた。
「総。くだらない冗談はよせ。バカバカしい。そんな……そんなふざけたことがあるかっ」
「信じなくても構いませんよ。貴方がどう思おうと、事実は変えられない。さて。そろそろ時間だ。鼠たちが押し寄せてくる。僕は美しくないことは嫌いなんです。だから約束通り、雅紀は連れていきますよ。誰の手にも届かない場所にね」
瀧田はそう言って妖しく笑うと、身を翻して部屋の中へ飛び込んでいく。彼の手には、何かキラリと光るものが握られていた。
「総っ!?待て!!」
「暁、待てっ。誰か出てくるっ」
田澤の声に、秋音ははっとして玄関の脇の茂みに身を隠した。田澤の言う通り、玄関ドアが音もなく開いた。姿を現したのは長身の男が1人。
秋音は茂みから飛び出して、男に忍び寄った。男が気配に気づいて身構えるより先に、後ろから飛びかかって羽交い締めにすると
「騒ぐなっ。雅紀は何処にいる?」
男は抵抗する様子もなく、両手を挙げて
「お姫さんなら2階の寝室だ。早く行かないとあいつらヤバイぜ」
田澤と古島がすかさず男を押さえつけ
「暁っ。ここはいいから先に行け!」
秋音は男を2人に任せて、玄関の中に飛び込んで行った。
雅紀は手足の枷を外そうと、ベッドの上でもがいていた。バルコニーに出て行った瀧田と貴弘の話し声はよく聞き取れない。2人がいない間に何とか逃げようとあがくが、手足を繋ぐ拘束具の留め金がなかなか外れない。媚薬の熱に浮かされ、震えてなかなか言うことをきかない指先で、やっとの思いで何とか片足の留め金を外すと、もう一方の足首に手を伸ばす。
不意に貴弘の怒鳴る声がして、バルコニーを方を見ると、瀧田が中に戻ってきた。
雅紀は息を飲み、身を捩ってベッドの上でもがく。
瀧田は笑っていた。手には細身の短剣が握られている。
「ねえ?雅紀。僕の可愛いお人形さん……。僕と一緒にいきましょうか。とても美しい所に連れていってあげますよ。誰にも邪魔されない場所に」
恐怖に声も出せずに、震えながらずりずりと後ずさる雅紀に、瀧田はつかつかと歩み寄ると、雅紀の腕を掴んでシーツに押さえつけ、短剣を振りかざした。
「やめろっっ!」
貴弘の怒号が響く。短剣が降り下ろされる瞬間、雅紀はぎゅっと目を瞑った。だが予想していた衝撃は来ない。短剣ではなく、貴弘の身体がのし掛かってきた。
「雅紀!!!」
バタンっとドアが開き、秋音が部屋に飛び込んできた。
「秋音さんっ!!」
雅紀の、悲鳴のような声が聞こえた。部屋の中央のベッドに、貴弘に抱き締められた雅紀の顔が見えた。
「雅紀っ」
走り寄る秋音の耳に、瀧田の狂ったような笑い声が響いた。
雅紀の胸目掛けて振り下ろされた短剣は、間に割り込んで雅紀を庇った貴弘の背中に、突き刺さっていた。
瀧田はベッドの脇で身を捩り、ケラケラと笑っている。秋音は呻く貴弘を雅紀の上から抱き起こした。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!