304 / 369
第63章 凪1
雅紀は、秋音につられたように弱々しく微笑んで、そのまま目を瞑ったが、急にはっとしたように目を開き
「貴弘さん………っ。貴弘さんは!?怪我っ 、怪我してっ」
叫んで身を起こそうとするのを、秋音は覆いかぶさるようにして、両肩を優しく押さえた。
「落ち着け、雅紀。大丈夫だ。手術は無事に済んで、貴弘は今朝方、病室の方に移された」
「……無事……?……助かった……?」
「ああ。重症だが、危険な状態は脱したそうだ。貴弘は大丈夫だよ」
大きく見開いた雅紀の目に、安堵の涙がじわりと滲んだ。秋音はその目をじっと見つめて
「貴弘は、おまえを庇ってくれたんだな?」
「うん……。俺が……あの人に、刺されそうに、なって、貴弘さんが、俺の、代わりに…っ」
雅紀の目から大粒の涙が零れ落ちた。秋音はそれを指先でそっと拭って
「分かった。もういい。今はまだそれ以上喋らなくていいぞ。貴弘は命を取り留めた。瀧田は警察だ。おまえは保護されて病院にいる。俺はおまえの側から離れないで、ずっと見守っていてやるからな。だから安心して、もう少し眠るんだ。次に目が覚めたらもっとゆっくり話をしよう。な?」
穏やかに一言一言、言い聞かせる秋音に、雅紀は泣きながら頷いた。だるそうに手をあげて、秋音の方に伸ばす。秋音はその手をぎゅっと握りしめてやった。
秋音の手の確かな温もりを感じて安心したのだろう。やがて雅紀はゆっくりと瞼を閉じていった。
秋音は、雅紀がもう一度深い眠りにつくまで、その手を握りながら、柔らかい髪を撫で続けた。
「秋音くん……」
静かにドアが開き、顔をのぞかせたのは大胡だった。秋音は眠っている雅紀の手をそっと離して、椅子から立ち上がると、仕切りのカーテンを開けて、大胡を招き入れた。
大胡はそっと雅紀のベッドに歩み寄ると、気遣わしげな表情で雅紀の顔を覗き込む。
「あれからずっと眠っているのか?」
「いえ。さっき1度目を覚ましたんですが、まだ薬が抜けていないようなので、もう一度眠らせました」
「そうか……」
大胡の雅紀を見つめる目は優しい。だがその表情は憔悴しきっていて、恰幅のいい身体が、小さく萎んで見えた。
もじまるで雅紀を交えて親子の対面をしてから、まだ1週間も経っていない。まさかこんな形で再会することになるとは……。
「重ね重ねすまなかった……。篠宮くんにも君にも、酷い思いをさせたな。本当に申し訳ない……」
大胡の声は覇気がなく、震えている。秋音はいたたまれなくなって、首を横に振ると
「瀧田総一は既に成人している立派な大人です。彼の行いは彼自身が責任を負うべきで、貴方がそんなにも責任を感じる必要はないと、俺は思います」
「いや……。総一には父親がいない。母親は精神病院に入院している。あれの心の病が酷くなっていることは、薄々気づいていた。分かっていて適切な措置を出来ずにいた私が悪いのだよ」
「でも、彼があそこまでおかしくなっているなんて、一緒に暮らしてでもいなければ分かりません。第一、狙われていると分かっていて、雅紀の側を離れた俺にも責任はあるんです。ご自分ばかり責めるのはやめてください」
大胡は、穏やかな目で自分を見下ろす秋音を、眩しい思いで見つめた。
「貴弘……さんの方はどうですか?」
「あ……ああ。大丈夫だ。幸い、命に別状はないそうだ。だがあと2cmずれていたら、心臓をやられていたと医者に言われたよ」
秋音は眉をぎゅっと寄せ、溜息をついた。
「そう……ですか……。良かった。大事に至らなくて」
「私はこれから総一の件で警察に行かねばならない。すまないが……篠宮くんのことは頼んだよ」
「はい」
大胡はもう一度、雅紀の寝顔を見つめると、2人に向かって頭をさげ、病室を出て行った。
昼過ぎに、早瀬のおばさんが病室に来てくれた。雅紀はあれからずっと眠り続けている。おばさんは雅紀の寝顔を覗き込んだ後、疲れた表情の秋音に優しく微笑んで
「暁、あなた、隣のベッドで少し横になっていらっしゃい」
「いや、でも、側を離れないと雅紀と約束したんです」
「分かってるわ。でもあなた、昨夜から寝てないんでしょう?そんな疲れた顔してたら、かえって心配させてしまうわ。雅紀くんが目を覚ましたら、すぐに呼んであげるから。……ね?」
「……すみません。じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ…」
おばさんの気遣いに、秋音は頭をさげると、隣のベッドに横になった。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!