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凪2

身体は疲れているのに、めまぐるしく起きた事件の興奮のせいか、頭の芯が妙に冴えていて、なかなか寝付かれなかった。瞼の下にちらつく雅紀の泣き顔に胸が詰まる。うつらうつらして目覚め、またうつらうつらする。繰り返しているうちに、だんだん深い眠りに引き込まれていった。 夢を見ていた。 上を向いても周りを見回しても、どこもかしこも真っ青な世界だった。 夢の中で俺は、ひとりの女性と小さな子供を連れて歩いていた。すごく満たされた気持ちで、子供の足元を気遣いながら。 時折、女性が何か言う。俺は笑ってそれに答えていた。 いつの間にか足元は、白い砂浜になっていて、サクサクと踏みしめる砂の感触が、とても心地よかった。 ああ、でも、これは夢だ。 こんな世界は存在しない。 夢の中で歩く俺を、見下ろす俺がいて、俺はこれが夢だとわかっていた。 ふいに、足元がグラグラ揺れて、俺は地震だと思って、慌てて連れていた2人を庇おうと振り返った。 2人はいなかった。 俺の後ろの足元には、ぽっかりと大きな穴が開いていた。 唐突に目が覚めた。 視界には、見知らぬ病室の白い天井。 「……そっか……。俺が昔よく見てた夢は、秋音の記憶からくるものだったんだな……」 唐突に理解して、暁は小さく独り言を呟いた。もう一度目を閉じてみる。 自分にはなかったはずの、子供の頃の記憶。母親の顔。友達の顔。住んでいたアパート。通った学校。 暁は再び目を開け、満足そうに微笑んだ。 「暁。起きて。雅紀くんが目を覚ましたわ」 早瀬のおばさんに揺り起こされて、秋音はがばっと身を起こした。ベッドから降りて、急いで雅紀の側に行く。 「雅紀」 顔を覗き込んで呼びかけると、雅紀はぼんやりした目で秋音を見上げた。 「秋音……さん……」 「おはよ。ここが何処だか、分かるか?」 「……うん……。えと……病院……?」 「そ。おまえよく眠ってたな。気分悪かったり、頭痛かったりしないか?」 雅紀はちょっと不思議そうな顔で、秋音の顔をじー……っと見つめて 「ううん。どこも……痛くないです」 「喉乾いただろ。待ってろ、今、水取ってやるからな」 冷蔵庫から飲みかけのペットボトルを出して、蓋を開けストローを挿して雅紀に差し出すと、雅紀は秋音を見つめたまま、もぞもぞと身を起こした。 早瀬のおばさんが、向こう側に回ってベッドの背もたれを起こし、雅紀の背に枕を差し込んでくれる。 雅紀は秋音の顔を見つめたまま、差し出されたストローを口にくわえた。 「どした?俺の顔に何かついてるか?」 雅紀はちゅうちゅうと水を飲んでストローを口から放すと、首を傾げた。 「秋音……さん……?」 秋音はにこっと笑って 「何だよ。俺の顔、忘れたのか?秋音だよ。まさか、おまえまで記憶なくした訳じゃないよな?」 そう言って手を伸ばし、雅紀の寝癖で跳ねた髪を、わしわしと撫でた。 雅紀は大きな目を更に見開いて、ちらっと早瀬のおばさんを見てから 「ううん。俺は、大丈夫」 「ね、雅紀くん。お腹空いてるでしょう?おばさん、プリンとか持ってきたから、看護師さんに食べていいか、聞いてくるわね」 「あ……はい。ありがとうございます、おばさん」 早瀬のおばさんは優しく微笑むと、気をきかせて部屋を出て行った。 ドアが閉まって2人きりになると、雅紀は手を伸ばして秋音の手を掴み 「……暁さん?ですよね?」 秋音は目を見開いて、雅紀をまじまじと見つめ 「何だよ~。バレちまったか。上手く化けたつもりだったんだぜ~」 雅紀はほっとしたように笑って 「うん。ちょっと分かんなくて焦っちゃった。いつもと感じ、違ったから」 暁はにやっと笑って片目を瞑ると 「おばさんには内緒な。俺が時々出るとか、バレるとまたややこしくなっちまうからさ」 「うーん……。でも、秋音さんに戻る時に分かっちゃうと思うけど……」 不安そうな雅紀に、暁は首を振り 「いや。秋音は今ちょっと休養中だ。当分眠ってるから、しばらくは俺にバトンタッチな」 「休養中……。秋音さん……疲れてる?具合悪い?」 「んな心配そうな顔すんな。いろいろあって混乱しちまったから、今気持ちと記憶の整理中なんだろ。それより何だよ~。俺が出てきちゃご不満か?ちぇっ。冷たい恋人だよな~」 子供っぽく口を尖らせた暁に、雅紀は慌てて首を振って、ぎゅっと手を握り締めた。 「違うし。不満な訳ないからっ。逢えてすっごく嬉しい」 暁は雅紀の手を引き寄せ、ぎゅっと抱き締めた。 「ごめんな。おまえ、また酷い目に遭わせちまったんだな。すぐに助けに行けなくてごめんな」

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