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凪3
「……っ。暁さん、知ってるの?」
「ああ。最中はずっともやってたんだ。でも何があったか記憶は残ってる。おそらく、これは……秋音の記憶なんだな」
「ごめんなさい……俺、捕まっちゃって……みんなに迷惑、かけてしまって…」
「ばーか。おまえが謝るこっちゃねえだろ。薬かがされて拉致られたんだ、抵抗しろって方が無理だろ。前にも言ったけど、おまえは被害者、な」
「貴弘さんが……俺のこと、庇ってくれたんです…っ」
「ん。そうらしいな。あいつは今、別の病室にいる。もう少し落ち着いたら、一緒に会いに行ってみような」
頷く雅紀の身体が震えている。暁は、雅紀の背中を優しく撫でた。
雅紀が拉致された時、自分は秋音の中で眠っていたが、秋音の切羽詰った苦しさはひしひしと伝わってきていた。
雅紀が瀧田にどんな目に遭わされたかは、前に見ているから想像がつく。その上、今回は貴弘が目の前で刺されたのだ。雅紀の受けた精神的ショックははかり知れない。
救急隊員が駆け付け、貴弘が別荘から運び出される間も、雅紀はパニックを起こして掠れた泣き声をあげていた。過呼吸を起こしかけている雅紀を宥めながら、貴弘に付き添って救急車に乗り込み、近くの病院に到着すると、手術室に運ばれる貴弘と別れて、雅紀は医師の手当を受けた。
目立った外傷はなかったが、薬を使われた徴候があり、見えぬ場所に傷を負っている可能性があった。興奮状態の雅紀に医師は鎮静剤を与え、気を失うように眠りについた後で、診察と血液検査をした。
「瀧田は警察に捕まった。今回ばかりは弁明の余地はねえよ。おまえに対する誘拐監禁暴行だけじゃねえ。貴弘への傷害もだ」
「……あの人……狂ってた……。こないだ会った時よりもっと……変になってて……。でもまさか俺を殺そうとするなんて…っ」
震える雅紀の身体を、ぎゅっと抱き締める。出来ればあんな恐ろしい記憶は忘れさせてやりたい。言葉にすることも辛いだろう。
だが、思い詰めやすい雅紀のことだ。忘れたくても忘れられない昨夜の光景を、吐き出しもせず独りで抱え込んでしまったら、後々もっと心を病むことになりかねない。今は辛くても全部吐き出させてしまった方がいい。
「あいつは完全に病気だな。母親は心を病んで入院しているらしいぜ。桐島さんがさ、もっと早くに適切な措置をするべきだったと悔やんでた」
暁の言葉に雅紀は顔をあげた。
「桐島大胡さんに……お父さんに会ったの?」
「ああ。おまえが寝てる間にここに来てくれたんだ。秋音が会って話をしてる。今は拘留されてる瀧田に会いに、警察に行ってるはずだぜ」
「そう……なんだ…」
「おまえが拉致られた後、桐島さんは居場所を探す為に方々に手を回してくれたんだよ。ま、実際あの場所を特定出来たのは、貴弘のお陰だけどな」
「……え……。貴弘さんの?」
「ああ。あいつが瀧田から居場所を聞き出して、秋音に電話をくれたんだ。おそらくあいつ、瀧田の誘いに乗ったフリをして、最初からおまえを救け出すつもりだったんだな」
雅紀は痛みを堪らえるような顔になり
「そうだったんだ……。貴弘さん、俺のことを……。俺、彼に酷いこと、言ってしまった……。無理矢理……だ……抱かれそうに、なって、俺……どうしても、嫌で、俺を抱いていいの、貴方じゃないって…」
苦しげな雅紀の言葉に、暁は首を竦め
「酷いったって、仕方ねえよな。それがおまえの本心なんだからさ。あいつがおまえのことどんなに好きでもさ、誰に抱かれたいかは、おまえにも選ぶ権利があるんだぜ。無理強いしていいことじゃねえよ」
「それは……そうだけど…」
暁は抱き締めた雅紀の身体を、優しく揺らして
「それさ、気に病むなっつっても、おまえの性格じゃあ無理なんだよな。でもさ、俺は何回でも言ってやるよ。人を好きになるのは自由だぜ。でもそれが両想いじゃねえ場合は、どんなに好きでも大切でも、叶わない想いなんだ。貴弘が本当におまえのことが大切ならさ、おまえの気持ちを尊重しなきゃな。貴弘の気持ちに応えられないのは、おまえの罪じゃねえんだよ」
一言一言、嚙んで含めるように、雅紀に話しかける。雅紀は唇を噛み締め、黙って頷きながら聞いていた。
「たくさん出逢う人間の中から、お互いに同じ想いを持つ相手に逢えるってのは、考えてみれば奇跡だよな。俺とおまえはそうなれた。でも貴弘とおまえは違ってたんだ」
「……奇跡……」
「 そ。……あのな。ちょっと厳しいこと言うぜ。おまえが自分の心を殺して貴弘を受け入れることは、優しさじゃない。むしろ残酷なことなんだぜ」
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