312 / 359
夢のかけら4
見開く瞳が零れ落ちそうなほど大きくて、整い過ぎて一見冷たそうな印象の顔に、不思議な愛嬌がある。
「嫌かな?もちろん下心はないよ」
彼はふるふると首を振ると、何故かちょっと怒ったような顔になり
「お酒……」
「え?」
「お酒飲んでるから、運転はダメです」
意表を突かれた。下心を疑われて嫌がられるかと思ったら……そうきたか。思わず頬が緩む。
「いや。私は運転はしないよ。運転手がいるからね」
そう言うと、彼は恥ずかしそうに頬に朱を散らした。
「あっ……そうなんですか」
「ああ。だから心配は要らない。折角だから乗っていきなさい」
彼は小首を傾げてちょっと考えてから
「あの……。俺、今日はまだ家に帰りたくないんです。だから…」
「分かった。じゃあもう一軒どうだい?あそこのホテルのバーだったら、さっきみたいな変な輩はいないよ」
この界隈では一番ハイクラスなホテルを指さすと、彼はまたじっとこちらを見て、困ったような顔になり
「や、俺……あんな高級なとこじゃ、場違いだから…」
「そうか。君が嫌なら無理にとは言わないよ。ただ、私も今日は約束の相手にドタキャンされてね、家に帰るにはまだ早いし、時間を持て余しているんだよ」
彼は今度は視線を下に向けた。左手の薬指を凝視している。
「奥さん……いるんですよね?」
「ああ。だが彼女は今は里帰り中だ」
彼はおずおずと顔をあげ
「じゃあ……寂しい?」
気遣わしげに顔を曇らせた彼の表情の方が、よっぽど寂しそうに見えた。
「そうだね。話し相手がいてくれると助かる……かな」
雅紀は首を傾げてしばらく考えていたが、意を決したように頷いて
「俺で……話し相手になるなら……ご一緒させてください」
「もちろんだよ。ありがとう。そうだ君、名前は?」
「雅紀……篠宮雅紀です」
「私は桐島貴弘だ。じゃあ、行こうか、雅紀くん」
酒に弱い雅紀は、アルコール度数の低いカクテルを舐めながら、話の聞き役をしてくれた。普段、仕事ではお目付け役のような年寄りに周りを固められ、自分より年下の青年と話す機会などなかったから、こちらの話に興味津々に相槌を打ち、熱心に聞いてくれる雅紀の存在は新鮮だった。
ほんの気紛れで、暇潰しの相手のつもりだった雅紀との時間が、自分の中でとても大切なものになっていくのに、そう時間はかからなかった。
バーで飲んだ後も、雅紀はなかなか帰りたがらなかった。お互いそんなつもりはないと言いながら、ごく自然な流れでそのホテルの1室に泊まり、肌を重ねた。出会ったその日に相手と寝るような軽い青年には見えなかったが、雅紀は人肌に飢えていたようだった。互いの寂しさが共鳴し合って始まった、2人の関係だった。
夢の中で隣を歩く雅紀が、穏やかに笑う。大きな瞳を真っ直ぐにこちらに向けて、自分の問いかけに一生懸命答えてくれる。
『やっぱりおまえは、俺のことが好きなんだな、雅紀。恋人と思っていなかったなんて、嘘だったんだよな?』
問いかけた途端に、雅紀の顔から笑みが消えた。
哀しそうな顔。今にも泣きそうだ。
見知らぬ街角の風景が、崩れていく。
気がつくと、辺りはいつの間にか、白一色の世界になっていた。
『雅紀……』
呼び掛けて、彼に歩み寄ろうとした。
ダメだ。近づいているはずなのに、どんどん彼が遠くなっていく。
『行くなっ。雅紀っ』
彼は哀しそうに、首を横に振った。
伸ばした手は……届かない。
雅紀の姿が白い靄の中に消えていく。
「雅紀……っ!」
貴弘は、自分の出した大声で、夢から覚めた。
「貴弘」
声がした方にのろのろと視線を向ける。父が…桐島大胡が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「……父さん…」
「気づいたか。……気分は……どうだ?」
大胡の後ろに白い天井が見えた。貴弘は目だけ動かして周りを見回し
「ここは……どこ、です?……病院……?」
「ああ、そうだ。病院だ。……何があったか……覚えているか?」
頭の奥がやけに重たくてぼーっとする。
何が……あったか……?
俺はどうしたのだった?
何故……病院に……?
白い天井を見つめて、しばらくぼんやりと考えていた。
ふいに、総一の狂ったような笑い声がよみがえる。貴弘ははっと目を見開き
「……っ。ま、雅紀っ雅紀は何処ですっ」
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!