336 / 377
真実への扉10
「おばさん、怖がらないで。俺は何もしませんから。それより貴弘さんの所に戻ってあげてください。貴弘さん、すっごく苦しそうです」
雅紀の必死の説得に、麗華はのろのろとドアの方を見た。
「聞こえますよね。お母さんのこと、呼んでますよね?」
「私……私は……」
「貴弘さん、命の危険もあるぐらいの大怪我だったんです。だからお母さん、傍に行ってあげて。貴弘さんは、あなたの大事な息子さんでしょう?」
麗華はびくっと震えると、顔を歪め
「そう……。貴弘は……あの子は私の大切な息子なのよ……。私は……私は……あの子を守る為に…」
雅紀は柔らかく微笑んで
「うん。そうですよね。ね、一緒に病室に行きましょう。貴弘さんの傍に行って安心させてあげないと」
麗華は頷くと、ふらふらと病室に向かって歩き出した。様子を見守っていた看護師の女性が、そっと麗華に寄り添い、支えながら病室に連れて行く。
看護師に伴われて病室に戻ってきた母親の姿に、貴弘は一瞬泣きそうに顔を歪めた。
「母さん……っ」
「貴弘……」
貴弘が伸ばした手を見つめ、麗華はおずおずと傍に歩み寄ると、その手を掴んでわぁっと泣き崩れた。
見守っていた暁は、ほおっと安堵の溜息をつき、病室の入口にいる雅紀と顔を見合わせる。やはり雅紀に任せて良かった。雅紀もほっとした顔をしていた。
秋音としての記憶を取り戻した暁にとっては、事件に加担していた桐島夫人に対する複雑な感情がない訳ではない。秋音が母や妻子を失う大元の原因を作ったのは、この女性なのだ。
けれど、目の前で茫然自失する夫人が、さっき自分の顔を見た時、その表情に表れていたのは、憎しみでも明確な殺意でもなく、怯えだった。
事件には関わっていたのだろう。でも彼女がそれを、自らの強い意思でやっていたとは思えない。本心では望まぬまま、愛人の片岡のやることに引き摺られてしまったのだろう。その弱さは罪だが、彼女は自分の罪に対する罰を、精神的に受けながら生きてきている。そして、全てが明るみに出てしまったこれからが、彼女にとって本当の罰の始まりになる。
暁はちらっと、貴弘とその母親の方を見てから、ドアの所にいる雅紀に歩み寄った。
「とりあえず、出ようぜ」
「……うん…」
雅紀も貴弘の方をちらっと見てから、頷いて共に病室から出た。
2人並んで廊下をゆっくり歩き、見舞い客用の待合室に行く。
雅紀に椅子に座るように合図して、暁は自販機へ向かうと
「おまえ、何飲む?」
「あ。ありがとう。じゃあ……えっと。ホットココア……お願いします」
「んー了解」
暁はホットココアとコーヒーを買って、雅紀の目の前に置くと、隣の椅子にどさっと腰をおろした。
「ほれ。あっついからな。ふーふーしてから飲めよー」
「もう……。俺、子供じゃないし…」
口を尖らせながらも、雅紀はほっとしたように柔らかく微笑んで、両手でカップを持って、ふうふうと息を吹きかけた。暁もカップを持ち上げ1口啜ると、ポケットからスマホを取り出す。
「社長に電話しとくからな」
「うん」
暁は田澤に電話をかけ、貴弘の母親が来ていることを伝えた。少し話をしてから電話を切り
「社長、ちょうどこっちに向かってる途中だとさ。桐島さんも一緒だ」
「おじさんも?そうなんだ。よかった……」
「おまえ、かなり緊張したろ。疲れた顔してるぜ」
「大丈夫。でも、おばさん病室に戻ってくれて良かった……。俺、説得出来なかったらどうしようって……」
「おまえのほんわか優しい雰囲気なら、きっと大丈夫だって俺は安心してたぜ。任せて正解だった」
そう言って片眼を瞑る暁に、雅紀は面はゆげに首を竦めた。
「おふくろさん、事件に関わってたって、貴弘に告白したらしいぜ。これで、捕まってる実行犯が自供すれば、首謀者の片岡にも警察の手が伸びる」
「そう……。じゃあやっと、事件は解決に向かうんですね。秋音さんも命を狙われる状態から解放されるんだ」
暁は手を伸ばし、雅紀の柔らかい髪に触れて
「すっかりおまえを巻き込んじまったよな。大変な思いばっかさせちまってごめんな」
「ううん。俺はあなたを守りたいってずっと思ってたから、だからすっごく嬉しい」
そう言って雅紀は幸せそうに笑う。
……ああ。この笑顔だよな。俺の人生の中で最高の宝物だ。しっかり心に刻みつけておかねえとな。……その時がきたら、俺はきっとこいつを泣かせちまう。だからそれまでは、こいつにもっともっとたくさんの笑顔を贈ってやりてえな……。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!