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つきのかけら13
雅紀がもぞもぞと腕の中で動く。抱き締める腕の力をゆるめると、胸元からひょこっと顔をあげた。上目遣いの大きな瞳に少し戸惑いの色が滲む。
「暁さん……。もう……着く…から…」
そう言われて周りを見回すと、箱は既に地上に近づいていた。暁は名残惜しい気持ちのまま雅紀から自分の腕を引きはがし、対面の椅子に移動した。
急に離れていってしまった温もりを、思わず追いかけるように、雅紀の手が暁の方にすっと伸びる。
自分が今どんな表情をしているのか不安で、暁は雅紀の目を見ないようにして、伸ばされた手をぎゅっと握った。
降車場所に着くまでの間、2人は無言で、ただお互いの手の温もりだけを感じていた。
秋音より、暁がいい。
思わずそう答えてしまったことを、雅紀は後悔していた。その会話の直後から、暁は自分の方をあまり見ようとしない。言葉数もめっきり減って、車に乗り込んでからも、暁から何か話題をふってくることはなくなっていた。
もちろん、雅紀が話しかけると、にこやかな表情で答えてはくれる。でも、いつもとは明らかに違う暁の態度に、雅紀は自分の心の奥がきゅっと冷たくなるのを感じた。
どっちと言われて、暁と答えた。その答えに嘘はない。秋音を好きなのは間違いないが、暁のことは好きという感情を飛び超えて、本当に特別なのだ。
でも……自分の答えを暁は喜んでくれなかった。むしろ酷く驚き、苦しげな表情すら見せた。暁のそんな反応は予想外だったのだ。
観覧車の中での情熱的なキス。一緒に住むアパートを探しに行こうという、幸せな未来への提案。そのおかげで高ぶっていた気持ちに、突然冷水をかけられた気がした。
ひょっとして……盛り上がっていたのは、自分だけだったのだろうか……。
暁の優しさを勘違いして、1人で舞い上がってしまっていたのだろうか。
そんなはずはないと打ち消すそばから、不安な気持ちが染みのように広がっていく。
穏やかな表情で壁を作る暁の横顔をちらっと見て、雅紀は痛みを感じる胸をそっと押さえた。
「どーした?さすがにちょっと疲れちまったか?」
アパートの駐車場に車を停めて、2人並んで帰り道を歩く。なんだか肩を落とし気味に、俯いてとぼとぼ歩く雅紀に、暁は声をかけた。
「……うん…。ちょっと……はしゃぎ過ぎたかも…」
「かなり歩き回ったもんな~」
「でも…っ。すっごくすっごく楽しかったです。暁さん。連れていってくれて、本当にありがとう」
雅紀は立ち止まってそう言うと、深々と頭をさげた。暁は手を伸ばして雅紀の髪をくしゃりと撫でると
「なーに改まってんだよ。おまえが喜んでくれたら、連れてった甲斐があるさ。俺の方こそめっちゃ楽しかった。ありがとな」
暁はそう言ってにかーっと笑うと、雅紀の手を掴んでぎゅっと握る。雅紀もその手を握り返し、再び歩き始めた。
暁の笑顔には、さっきまでの屈託は、もうないように思えた。
観覧車で口に出してしまった言葉はもう忘れよう。なかったことにして、もう言わないようにしよう。言えばまた、暁を困惑させてしまう。
もし、自分が想うほどには暁が自分を想ってくれてないとしても、せめて一緒にいて楽しいと思ってもらいたい。重たい存在だと思われたくない。
雅紀はツキンと痛む心に蓋をすると、暁にぴたりと寄り添って歩き続けた。
部屋に戻って風呂場で交代にシャワーを浴びて汗を流すと、ソファーに座って寛ぎながら、今日撮った写真を1枚1枚確認した。
暁は何か簡単に作って軽く夕食を済ませるかと聞いてきたが、喫茶室で食べたパングラタンとフレンチトーストがボリューミーだったせいで、お腹はまったく空いていない。雅紀がそう答えると、暁も苦笑して
「たしかにな。夕飯はあれで充分か」
「うん。すっごく美味しかった。あれって家でも真似して作れますよね」
「おう。作ってみたことあるぜ。グラタンの方は上が焦げちまわねえようにオーブンの焼きを調節すりゃ、あれにかなり近いのが出来る。でも、フレンチトーストの方は、1斤で作るのはちと難しいんだ。何回か真似して挑戦してみたけどさ。まだまだ改良の余地がある出来上がりだったな」
熱心に語る暁の表情も口調も、すっかり元に戻っていつも通りだ。雅紀は内心ほっと胸を撫で下ろし、安心したせいか急にどっと疲れを感じた。
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