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つきのかけら19

「おまえさ、去年これ見て、泣いちまったよな…」 ぼんやりと呟く暁に、雅紀は恥ずかしそうに目を伏せて 「あは。あれは自分でもびっくりだった。でも、なんだろ。じわーんってなっちゃって、知らないうちに涙、出てて…」 「すっげー綺麗な涙だったな」 暁は雅紀の手をぎゅっぎゅっと握ると、湿地の脇の小道を抜けて、斜面に近づいて行った。 木々の隙間から零れ落ちる陽射しが、花たちにスポットライトを当てている。今日は気温が高いからだろう。どの花も、俯いた花弁がくるんっと反り返っていて愛らしい。 「あっ…あれ、ピンクだ」 雅紀が指さす方を見ると、紫色の花たちに囲まれるようにして、ピンク色の花が見えた。 「あんな色のもあるんだ。可愛いなぁ…」 雅紀は首からさげていたカメラを持ち上げ構えると、ピンクの花にピントを合わせてシャッターをきる。暁と一緒にあちこち撮影して歩いたおかげで、カメラの扱いにもかなり慣れた。 楽しそうに花を撮っている雅紀を、暁は眩しそうに見つめて微笑んだ。 ……もう大丈夫だ。雅紀は精神的に安定してる。秋音が表に出てる時間のが長くなってても、問題なさそうだしな。 雅紀と過ごしたこの1年は、本当に幸せだった。最初から惚れ込んでいた相手だが、共に過ごす時間が増えれば増えるほど、愛しさは募った。これ以上好きになるかよってほど好きなのに、毎日毎日、俺はこいつに恋してきた。 これから先、長い人生を送れたとしても、これほど深い愛情を抱ける相手に、出逢えるとは限らない。 本当はもう少し早く、雅紀に別れを告げるつもりだった。長く過ごせばそれだけ、別れ難くなるのは分かっていたから。 だいぶ落ち着いてきた雅紀の様子に、昨年の冬の初めに秋音にそれを打診すると、まだ早いと反対された。でも、そうやってずるずると引き伸ばせば、辛くなるばかりだ。だから、雅紀と初めてデートをした、思い入れのあるこのカタクリの群生地を、お別れの場所と決めた。 雅紀の満ち足りた穏やかな笑顔を見る度に、心が狂おしく痛む。 当然だ。最愛の人との最後のひとときなのだから。 暁はこみ上げてくるものをぎゅっと抑え込み、カメラを構えてファインダーを覗いた。 俺が自分の意識で撮る、最後の雅紀の写真。こいつの優しさも温かさも美しさも、雅紀の全てをここに収める。 そう思いながら歯を食いしばって、ピントを合わせようとするのに、勝手に目が熱くなってきて、目の前の雅紀の横顔がぼやけて滲む。 ……おいこら。ダメだろ。俺が泣いてどーするんだよ。情けねえな。格好わりぃの。こんなんで消えることを告げたら、雅紀を傷つけちまうだろーが。 「ね、暁さん。これちょっと見て」 雅紀が振り返ってこっちを見ている。マズい。 ファインダーを覗き込んだまま動こうとしない暁に、雅紀は不思議そうに首を傾げ 「暁さん……?何、撮ってるんです?」 「……何って……もちろんカタクリだよ」 「……」 雅紀は無言で暁の側に歩み寄ると、心配そうな顔で、暁の顔面からカメラを取り上げた。 目が合った雅紀が小さく息を飲む。 ……ダメだ。泣いてるってバレちまった。何て言い訳すりゃいいんだ……? 内心焦っていると、雅紀の綺麗な顔が近づいてきた。 「……暁さん……泣いてるの……?」 「や。いや、泣いてねえって。目にゴミが入っちまって…」 「……そっか……。やっと泣けたんだ…」 「……へ……?」 「初めてカタクリ見た時、泣きたかったのに泣けなかったって、暁さん言ってたでしょ?今回は、ちゃんと泣けたんですね」 そう言って嬉しそうに微笑む雅紀に、いっそう涙腺が緩みそうだった。 「……あ、ああ……そうだな…」 「涙ってね……内にこもってしまった想いを外に流し出してやれるから、泣きたい時に泣けるのはいいことなんですって。泣いた後って、気持ちがスッキリするでしょ?」 「……そっか。んじゃさ……おまえの胸、ちょっとだけかしてくれよ」 雅紀は少し驚いたように目を見張り、優しく微笑んで、 「うん。いいよ。俺の胸でいいなら、思いっきり泣いて」 暁は堪らなくなって、雅紀を引き寄せると、屈んで雅紀の胸に顔を埋めた。

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