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後日談 『おしおきー29』
バスを降りて、なだらかな坂道を並んでゆっくり歩く。柔らかい春の陽射しは暖かいが、風はまだ少し冷たかった。
見上げると、薄青い空に浮かぶ白い昼の月。
雅紀はちょっと緊張した面持ちで、秋音の手をきゅっと握り締めた。
1年前のあの日。幸せの絶頂から突き落とされた。あの事故の光景がよみがえってくる。
もう、秋音を狙う人間は居ないのだと、頭ではわかっているが、なんとなく足が竦む。
雅紀の緊張が伝わったのだろう。秋音は雅紀の手をぎゅっぎゅっと握り返して
「大丈夫だ。もうあんなことは起きない」
「……うん……そう……ですよね」
雅紀はちょっと強ばった顔で、ぎこちなく微笑んだ。
小高い丘の上にある都倉家のお墓。
その前に2人で並んで立つ。
秋音は持ってきた花束をお墓の前に供え、両手を合わせた。
「母さん……。詩織……。遅くなってごめん。ようやく貴女たちに報告出来るよ。犯人は捕まった。今、裁判中だ。ただ……犯人や動機が分かっても、貴女たちが戻ってくるわけじゃないけどな」
しゃがみこみ、墓石を優しく撫でながら、静かに語りかける秋音の背中を、雅紀はせつなく見つめていた。
ようやく真相が分かって、秋音の命を脅かすものはなくなった。
でも、亡くなった3人の尊い命は、2度と戻らない。大切な家族の無念を、これから先、秋音は一生抱えて生きていくのだ。この人の痛みも哀しみも、共に抱えて寄り添い生きていく。雅紀は改めて、気持ちの引き締まる思いで、お墓に向って手を合わせた。
秋音は雅紀をちらっと振り返った。心根の優しい恋人は、失った命の重みをまるで自分のことのように受け止め、哀しみを噛み締めるような表情で、一心にお祈りを捧げてくれている。こいつが側に居てくれたら、母も詩織もきっと安心してくれるだろう。
「改めて紹介するよ。母さん。詩織。俺の大学の時の後輩だった篠宮雅紀。今は俺の心を支えてくれる、大切なパートナーなんだ」
雅紀は目を開けて、少し潤んだ瞳で、自分を見上げる秋音をじっと見つめ返した。
「俺は、貴女たちを幸せに出来なかった。むしろ、巻き添えにしてしまった。こんな俺が言える資格はないのかもしれない。でも……俺はこいつを大切にしたい。心から愛しているんだ。だから……見守ってくれ」
秋音の言葉に、雅紀はきゅっと唇を引き結び、傍らに並んでしゃがみ込むと
「ご無沙汰しちゃってごめんなさい。篠宮雅紀です。改めて……御挨拶させてくださいね。俺……俺は……秋音さんを愛してます。すごく、すごく大切な人です。俺には……この人の子供を、産んであげることは出来ないけど。でも……一生支えて生きていきますから。俺が、この人の幸せを守るから。だから……だから……っ。許してくださいね」
途中、何度も言葉を詰まらせ、ぽろぽろと涙を零し、それでもひたむきに真剣に、俺の幸せを守ると誓ってくれる雅紀。
母はもちろんのこと、詩織だってきっと、微笑んでくれているはずだ。守れなかった後悔は消えない。彼らを失った欠落感も、この心から拭える日は来ないだろう。自分1人生き残ってしまった罪悪感もまた。
それでも、生きている限りは前を向く。その勇気を与えてくれた愛おしい人と共に。いつか空で再び会う彼らに、俺は貴女たちの分まで精一杯生きたのだと、胸を張って言えるように。
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