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第14章 硝子のつき1

ドアを開けて出迎えてくれた桐島は、ちょっと驚いたような顔をしていた。 「思ったより早かったね。早瀬くんとは食事したのかい?」 「うん。ラーメン食べてきました」 「そう……」 柔らかく微笑むと、桐島はふわりと両手を伸ばして、雅紀の身体を引き寄せ、優しく抱き締めようとした。 いつもならば、力を抜いて、甘えたように桐島の胸に顔をすりよせ、すっぽりと腕の中におさまるはずの身体は、するりと桐島の腕をかわして逃げていく。 「大事な話。あるんですよね?」 桐島は、拒絶をにじませている雅紀の華奢な肩を見つめ、ため息をつき 「そうだね。まずは話をしようか。おいで」 部屋の中へと歩き出した桐島に、雅紀はその場から動かず、 「話ならここで聞きます。俺、明日は仕事だから、そんなにゆっくりは…」 「雅紀」 桐島に遮られて、雅紀は口をつぐんだ。 「まだこんな時間だよ。座って話をするくらいは出来るだろう?」 そろそろと顔をあげ、桐島の方を見ると、ちょっと困ったような顔で苦笑している。 雅紀は自分が気負いすぎていることに気づいて、肩の力を抜いた。 「ごめんなさい……。ちゃんと座って……話ききます」 室内に入り、ソファーに腰かけても、借りてきた猫のように寛げない様子でいる雅紀に、桐島はゆっくり歩み寄り 「何……そんなに緊張してるんだい?上着かして。皺になるといけないから」 そう言って、手を差し出す。雅紀は何か言いかけて諦め、素直に上着を脱いで渡した。桐島はクローゼットのハンガーにそれをかけると、戻ってきて雅紀の隣に腰をおろす。 「早瀬くんとは、いつ知り合ったの?」 穏やかに切り出され、雅紀はちらっと桐島の顔を見て 「ちょっと前……です」 「飲みに行って?」 「……うん……そんな感じ」 「彼、知らないって言ったね。ノンケなのかい?」 雅紀は無言で頷いた。 「じゃあ。本当に彼とはまだ寝てないんだね。君がゲイだってことも」 「知りませんよ。知らせるつもりもないし。ただの友達だから。 それより貴弘さん。大事な話って何?」 苛立ったような雅紀の口調に、桐島は眉をひそめた。 サイドテーブルから煙草を取り、口にくわえて火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出すと、足を組んで背もたれに身体を預ける。 「離婚するんだ。もう弁護士には話をしている。妻はおそらく妊娠している。相手はさっき、早瀬くんが報告してくれた男だ」 「え……っ」 雅紀は目を見開き、桐島を見つめたまま絶句している。桐島は苦笑いして 「まったく……酷い話だよね。浮気相手の子供を妊娠して、それがバレる前に、私と巧く別れるつもりだったらしい。慰謝料まで要求してね」 雅紀は何も言えずに、俯いた。桐島はしばらく無言で煙草をふかしていたが 「まあ。浮気については正直お互いさまだ。どちらが先だったかは分からないが、私に妻を責める資格はない。彼女の浮気に気づかないふりをしていたし、君とこうして会って…何回も抱いていた」 俯いている雅紀の身体が、ぴくんと震える。 「だが、責任を全て私になすりつけて、金まで要求した上に離婚を迫ってくるのなら、こちらだって黙っているわけにはいかないだろう?」 桐島は、吸いかけの煙草を灰皿に押し潰すようにして消した。それが自分に押しつけられたような痛みを感じて、雅紀はギュっと目をつぶる。 重苦しい沈黙が流れる。 その沈黙に耐えられなくなって、雅紀が顔をあげると 「悪かったね。君にそんな辛い顔をさせたいわけじゃないんだ。離婚については、そういった事情だから、まあ揉めはするだろうが、腕のいい弁護士を雇ったからね、そう悪い条件にはならずに成立するはずだ」 桐島は何故か満足そうに微笑んでいて、このまま黙っていてはダメだと、雅紀の頭の中で警鐘が鳴った。 「貴弘さん、俺っ」 「雅紀。本題はここからだ」 「……っ」 穏やかなのに、有無を言わさぬ口調で、雅紀の言葉を遮ると 「離婚したら、私はフリーだ。誰と何をしようが、誰にも文句は言わせない。 雅紀。君ともこれからは堂々と会える」 「貴弘さん……俺は……」 「私はね、前から君とのこと、きちんとしたいと思っていたんだよ。今回のことは、そのいい機会だ」 「ね、貴弘さん。俺の話、聞いてください」 「君はしっかりしてそうに見えて、けっこう危なっかしいからね。1人にしておくのは心配だった。今日だって、ちょっと私が目を離していた間に、あんな得体の知れない男につきまとわれて……」 「……っ。待って。暁さんはそんな人じゃな」 「これからは、私がいつもそばにいて、君に悪い虫がつかないように見守ってあげられるよ」 ……ああ……ダメだ……これって…

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