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硝子のかけら2

桐島とのことがあった翌日、雅紀は会社を休んだ。 あの日、最終電車でアパートに帰り、すぐにシャワーで全身をしつこいくらい何度も洗った。何回洗っても綺麗にならない気がして、赤くなるほどスポンジでこすり、ようやく浴室を出て、ベッドに行った時には、疲労困憊していて、そのまま服も着ずに、布団に潜り込み、死んだように眠った。 夜中に酷い夢を見て、自分の悲鳴で目が覚めると、今度は朝まで一睡も出来ず、会社に行こうと起き出して、なんとか準備はしたものの、外に出るのが怖くて、玄関のドアが開けられない。 結局、出社時間の10分前に会社に電話して、体調不良を理由に休ませてもらった。 スマホの電源は切っていた。会社にかけるために、恐る恐る電源を入れたが、桐島からはメールはきていなかった。 ほっとはしたものの、桐島は、雅紀の会社もアパートも知っている。部屋の中に入れたことはないが、アパートの前まで送ってもらったことは、何度かあった。 直接来るかもしれない。 雅紀はまたパニックになりながら、玄関ドアの鍵を確認し、チェーンをかけて、今度は部屋にある全ての窓を、鍵がかかっているか確認して回り、カーテンを閉めた。 そうしてまたスマホの電源を切ると、ベッドに飛び込み布団を頭から被る。 うとうとして、夢を見て飛び起きる。それを何度も繰り返した。 食欲はまったくなかった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、そればかり飲んで過ごした。 結局その日、桐島が訪ねてくることはなかった。 翌日、後込みする自分を叱咤して、必死の思いでアパートから出て、会社に向かった。仕事でどうしても外せない、大事な打ち合わせがあった。 桐島が現れるかもしれないと怯えながら、ようやく会社にたどり着いたが、仕事が出来る状態ではなかった。 やつれて目の下に隈を作り、真っ白な顔をした雅紀に、同僚や上司は驚き慌て、打ち合わせだけは何とか出席した後、病院に行けと早退を促された。 会社を出たその足で、雅紀は、病院へは行かずに、自分のアパートのある駅とは、反対方向行きの電車に乗った。 アパートには戻りたくなかった。 電車で2時間ほどかかる町に、雅紀の実家があった。高校を卒業してから、ほとんど寄りつかない我が家だったが、他に行く宛はなかった。 高校の時、ある事件がきっかけで、自分がゲイだと自覚した雅紀は、その事件のせいで、自ら望まないまま、両親にカミングアウトせざるを得なかった。 両親は一人息子の告白に驚愕し、父は怒り狂い、母は嘆き悲しみ、どちらも雅紀の性癖への理解を拒んだ。 雅紀が、遠い東北の大学へ進学したのは、家に居場所がないことも、理由のひとつだった。 東北から逃げるように帰ってきた時も、実家に居られたのは数日で、住み込みのアルバイトを見つけると、実家を出てしばらくは寄りつかなかった。 そんな事情だったから、なるべく実家には帰りたくなかったが、他に頼れる人もいない。 しかし雅紀は、実家に帰ったことをすぐに後悔した。 案の定、自分の居場所はそこにはなかった。父は自分を無視し、母は、もう変な病気は治ったかと聞いてきて、一度お見合いをしてみないかと、知り合いの娘さんの写真を取り出して見せてきた。 一晩泊まって、ようやく少し眠ることが出来た。翌日、顔色が悪いと引き留める母に、笑顔で手をふり、実家をあとにした。 会社のある駅までは戻ったが、出社することも、アパートに戻ることも出来なかった。 会社に電話を入れると、心配してくれた上司が、いい機会だからたまっている有休を取って、体調をしっかり戻せと言ってくれて、その好意に甘えさせてもらった。 とりあえず、なるべく安いビジネスホテルを探して、日曜日までの連泊を予約し、チェックインの時間までネットカフェで時間を過ごした。 実家で少しだがまともに眠れたことで、精神的にも肉体的にも、最悪の状態からは少し回復していた。食欲は相変わらずなかったが、吐き気や目眩、寒気などは治まってきた。コンビニで、水とゼリー飲料とスティックタイプの栄養補助食品を買って、ホテルにチェックインすると、ゼリー飲料だけ飲んでベッドに横になった。 スマホの電源を入れてみる。桐島からのメールはなかった。少し悩んでから、桐島の電話番号とメアドをブロックした。 ラインを開き、「あきら」のページをタップする。 ―はじめまして。早瀬暁です。 1行だけの彼からのメッセージ。 見つめていると、涙が溢れてきた。 会いたいと、顔が見たいと、震える指で、文字を打ってみる。 送信するつもりはなかった。彼にだけは、助けを求めることは出来ない。したくない。 それでも、会いたかった。顔が見たい。声が聞きたい。あの大きな手で、大丈夫だよと、頭を撫でてもらいたい。 ―会いたい会いたい会いたい そう打ってから急いで文字を消し、雅紀はぎゅっと目をつぶって、そのままスマホの電源を切った。

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