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番外編『愛すべき贈り物』10
あの頃、目を開けても閉じても、俺の頭の中は空白だった。
思い出さなければいけないことが、たくさんあるはずなのに、どれだけ考えても何をしても、俺の頭は空っぽで、焦りと絶望だけが、繰り返し押し寄せてくる。
早瀬のおじさんとおばさんに、焦るなと何度も諭されて、田澤社長を紹介されて仕事も貰えた。昼間、人と触れ合い、しゃかりきに働いている間は、いろんな鬱屈を忘れていられた。
でも、夜になって独りになると、ダメだった。真っ暗な闇が俺の心を飲み込もうとする。
俺は酒に溺れ、やがて女に溺れた。仕事が終わると独りになるのが怖くて、盛り場へと繰り出した。孤独も恐怖も不安も焦燥も、全て忘れてしまいたくて、酒を飲み、話しかけてくる女とホテルに行って、柔らかい身体に必死にすがりついた。
酒に酔って女の身体に夢中になっている時は、何もかも忘れられた。
でも……疲れ果てて眠りにつくと、安らかなはずの睡眠は、記憶の切れ端のような悪夢を連れてくる。切れ切れに見せられる残像。闇に追いかけられる恐怖。俺は何度も魘されながら飛び起きて、頭を掻きむしった。
里沙に会ったのは、そんな不毛な日常を繰り返していた時だった。
ふと立ち寄ったバーで、カウンターの端に座って酒を飲んでいる女。
周りの男達が牽制し合いながら、その女に声をかけるタイミングを狙っていた。俺はその場の雰囲気を無視して、女の隣に座って、酒を頼んで飲み始めた。
そっと横顔をうかがうと、女は周りの空気などまったく感じていない様子で、ただぼんやりと酒を飲んでいた。かなりの美人だ。
俺は声をかけるつもりもなくて、女の隣で静かに酒を飲み続けた。
ふと、視界に映る女が微かに身じろぎしたような気がして、俺はちらっと隣を見た。
女の頬に涙が伝い落ちるのを見て、俺はどきっとした。
「誰か、来るのか?」
俺の問いかけに、女はこちらを見ようともせずに
「来ないわ。もう終わったから」
「そうか。んじゃ、そろそろ行こうぜ」
女はちょっと驚いた顔で、俺の方を見た。
「行くって、どこへ?」
「夢のない世界に、かな」
女は綺麗な眉をきゅっと寄せて
「嫌よ。夢のある世界がいいわ」
「OK。んじゃ、連れてってやるよ」
俺がスツールから降りて女の分の会計も済ませると、女は黙って俺の後に続き、そのまま店を出た。
その女ー橘里沙は、俺がその頃とっかえひっかえに遊んでいた女たちとは、ちょっと毛色が違っていた。
俺も彼女も、後腐れのない関係を望んでいたから、最初のうちは下の名前で呼び合うくらいで、お互いの素性については明かさずにいた。
里沙とは不思議とウマが合った。一緒にいてほっとしたし、会話も楽しかった。身体の相性も抜群だった。
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