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第18章 十六夜のつき1

桐島は先にラウンジで待っていた。 先日会った時より、覇気がなく、ひどく疲れているような印象を受けた。 暁が会釈すると、挨拶もそこそこに立ち上がり 「ちょっと込み入った内容でね、ここじゃなんだから、上の私の部屋に来てくれるかな」 そう言って、暁の返事も待たずに、エレベーターに向かって歩き始める。暁は眉をあげ、黙って桐島の後に続いた。 部屋に入ると、桐島はソファーにどさっと腰をおろし、ネクタイをゆるめた。 応接セットのテーブルの上には、飲みかけの水割りがある。灰皿は煙草の吸殻で一杯だ。 「急に呼び出して悪かったね。そこに掛けてくれ。……ああそうだ、君は何を飲む?」 暁はすすめられた1人掛けのソファーに腰をおろすと、ルームサービスを呼ぼうとする桐島を手で制して、 「いえ。私は何も。それより出来れば、ご用件をお聞かせ願いますか?この後の予定がつかえてますので」 桐島は、暁の顔を見て首をすくめると、 「これから恋人と会ってデートかな?それとも家で待っているのか、君の帰りを」 皮肉な笑みを浮かべる桐島に、暁は眉をひそめた。 「どちらでもありませんよ。仕事です。先ほどのお電話では、追加のご依頼がおありのようですね。奥様の件ですか?」 「いや。あれの件は終了だ。君の優秀な仕事ぶりのおかげで、私が一方的に不利益を被る事態は避けられたよ。離婚は確定だがね」 桐島は自嘲気味に笑って、ケースから煙草を1本取り出すと、口にくわえライターで火をつけた。そのまま黙りこみ、煙草を吸っている。 暁は苛立ちを抑え、もう1度水を向ける。 「それで、お急ぎのご依頼の内容は?」 「……君はあれから、雅紀とは会っているのか?」 「は?」 「篠宮雅紀。先日一緒にいただろう?」 暁は怪訝な表情のまま、桐島の顔を見つめて、 「ご質問の意味が、よく分かりませんが?」 「雅紀は、どうやら君をいたくお気に入りらしいね。あの後、一緒にラーメンを食べたと、嬉しそうに話していた」 暁は、微かに眉を寄せ、 「あれから雅紀とは会ってません。どうして私にそんなことを?あなたの方が彼とは会っているようですし、彼に直接お訊ねになればいい」 桐島はふ…っと口をゆがめると 「勿論、雅紀には直接問い質すつもりだよ。一体どういうつもりで、君のような男と付き合っているのかとね」 暁は無言で桐島を睨み付けた。 「だが、その前に君に確認したい。君は雅紀をどう思っているんだ?先日の様子だと、君も彼にかなりご執心のようだったが」 「その質問、答えなきゃいけない義務は、私にはありませんね」 「いや。是非とも答えてもらいたいな。 ……雅紀とはもう寝たのか?」 「桐島さん」 「もうあのこを抱いたのかと聞いているんだ」 桐島は苛立ったように、まだ吸いさしの煙草を灰皿にねじこんだ。暁はため息をついて、 「ご自分が何を言ってるのか、わかってますか?雅紀は男ですよ」 「そんなことは知っている」 「だったら何故そんなことを、俺に聞くんです」 桐島は、しばらく探るように暁の顔を見ていた。暁の表情から含みはないと読んだのか、やがてふいっと目をそらし、 「そうか。私の思い過ごしか……。君は本当に雅紀には会っていないんだな」 「先ほどもそう言ったはずです。桐島さん、失礼ですが、だいぶお疲れのご様子ですね。もしご依頼の件が、それほどお急ぎでないのなら、改めて明日にでも、社の他の者を…」 「いや。いいんだ。つまらないことを聞いて悪かった。依頼の件は、今、君に頼みたい。君の優秀さは田澤さんのお墨付きだからね」 ……よく言うぜ、狸が。さっき俺を、見下したような言い方しやがったくせに……。 急ににこやかな表情になった桐島に、暁は内心毒づいた。 「人を探してもらいたい」 ようやく仕事の話になったらしい。 暁は、ビジネスバッグから書類とボールペンを取り出した。 「ちょっと複雑な事情があってね。それは追々説明するが」 桐島は飲みかけのグラスに手をのばし、口をしめらせると 「名前は……桐島秋音。秋の音と書いてあきとだ。もしかしたら、母親の方の姓を名乗っているかもしれない。たしか……とくら……だったな。都に倉敷の倉だ」 暁は、調査依頼書の名前の欄に「桐島秋音(都倉秋音)」と記入した。 ……とくら……あきと。 「私の腹違いの弟だ」 暁は手を止め、桐島の顔を見つめた。 ビジホの一室で暁を待つ間、雅紀は手持ち無沙汰で、旅行鞄の中身を整理していた。 ベッドの上に広げた衣類を見て、ため息をつく。このでたらめな内容が、荷物を鞄に詰めていた時の、自分の心理状態を如実に表していた。 ……暁さん……遅いな……もうあれから2時間以上経ってる… 雅紀は、なんだか無性に不安になってきて、手の中の鳴らないスマホを、じっと見つめた。 

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