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番外編『愛すべき贈り物』89

「……姉さん……」 まだぼんやりしている祥悟の顔を、里沙は身を乗り出して覗き込み、優しく微笑んだ。 「目が覚めた?」 「ん……俺…‍…」 祥悟はちょっと辛そうに顔を顰め、身を起こそうとする。里沙はそれを押しとどめて 「まだ無理に動かないで。薬、完全に抜けてないから」 「……薬……」 祥悟は大人しく横たわると、目を細めて記憶を辿る。 「久しぶりね……あなたに姉さんって呼ばれたの」 里沙がふふっと笑いながら祥悟の手に手を重ねると、祥悟はぼんやりとその手に視線を移し 「……そう……かな……‍? 俺、姉さんって呼んでなかった……?」 「そうよ。もう何年も、ね」 祥悟はじっと姉の手を見つめながら、考えてみた。 ……そうだ。たしかに俺は、里沙のことを「姉さん」と呼ぶのを止めていた。 ……いつ頃だったろう……。 ……いや……覚えてる。あの時からだ。あの忘れられない夜から……。 顔を顰めたまま考え込んでいる祥悟に、里沙はそっと手を撫でながら静かに問いかけた。 「何があったか……覚えてる‍?」 祥悟はのろのろと顔をあげて、微笑む里沙の顔を見つめた。 ……もちろん。覚えてるよ、姉さん。あの日から俺は……。 頭の中を覆っていた霧のようなものがだんだん晴れてきて、今、自分が置かれている状況も分かってきた。里沙が自分に何を「覚えてるか‍?」と問い掛けているのかも、ちゃんと理解している。 おそらくここは、病院のベッドで、自分はあいつに呼び出されて、罠に嵌められた。薬で朦朧としていたから、断片的にしか覚えてはいないが、自分を助け出してここに連れてきてくれたのは……暁だ。 だから、里沙の問いがあの夜のことを指している訳じゃないと知っている。でも…… 祥悟は、まるで昨日のことのように情景が浮かぶあの夜の記憶に、自分の心が今でも囚われ続けているということに、正直うんざりした。何年もかけて心の奥に封じ込めてきた想い……。 ……嫌だな。思い出したくないのにさ。 「ん……何となく……覚えてる、かも。暁くんが助けてくれたんでしょ?」 里沙は苦笑いしながらふぅっとため息をついて 「もう……。暁から連絡もらった時は焦ったわ。いったいどうしてこんなことになっちゃったの‍?」 祥悟は探るように里沙の表情をうかがう。 ……そっか……。暁くん……里沙に余計なこと言わないでくれてるんだ……。 自分をこんな目に遭わせた相手が、幼馴染の克実だってこと。そして、里沙を悩ませていたストーカーが克実だったってことも。 里沙がもしそれを知ったら、こんな穏やかな顔で笑っていられるはずがない。 ……相変わらず憎い配慮だねえ、暁くん。 祥悟は内心苦笑した。そういう細かいことによく気が回る男だからこそ、自分は心から憎むことが出来ないのだ。里沙を抱いた男である暁を。 ……あーあ。俺の心は複雑骨折中だ。もういろいろ面倒臭いし。

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