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番外編『愛すべき贈り物』90

祥悟は微笑む里沙から目を逸らすと、白い天井を睨みつけた。 「……ごめん。心配かけて。昔付き合ってた男にさ、呼び出されて会いに行ったんだ。そしたらそいつ、俺のこと恨んでたみたいでさ。罠にハマってこのザマってわけ。まあ、自業自得だよね」 自嘲気味に呟く祥悟に、里沙は顔を曇らせた。 「そうだったの……。ね、祥悟」 「なに‍?」 「あなたともう1度、ちゃんと落ち着いて話がしたかったのよ。仕事のこととか……あなたのこれからに……ついて」 躊躇いがちな里沙の声に、祥悟は再び里沙の方を向いた。 半年ほど前にも、里沙は同じような気遣わしげな表情でそう言った。 「俺の、これから……か……」 「あなた、もう随分前から、モデルの仕事、辞めたいって言ってたでしょ」 祥悟は、綺麗に手入れされて品のよいネイルを施された里沙の爪を見つめた。自分と同じ遺伝子を持つ双子の姉。子どもの頃は二卵生とは思えない程そっくりだった。まるで鏡の中の自分を見ているように。いつの頃からか、目線が合わなくなって、自分だけ背がぐんっと伸びた。がっしりとしていく自分と華奢なままの姉。この指先だって、同じようなネイルをしてみても、全然違う。 まるで自分自身のようだった姉が、どんどん遠くなっていく。華やかな軽やかな羽根をつけて、自分とは違う世界に羽ばたいていってしまう。そんな奇妙な夢を頻繁に見るようになったのは、いつの頃からだっただろう。 あの頃に抱いた、自分の中の焦り、哀しさ、寂しさ、そして…執着。その全てが、まったく別の感情から生まれたものだったなんて、当時は知る由もなかった。 ……違うよ、里沙。俺はモデルの仕事を辞めたいんじゃない。別に仕事なんて、生きていく為の手段に過ぎないじゃん。だから何だって構わない。 そうじゃなくてさ。俺がやめたいのは……。 「ごめんなさい。まだ目が覚めたばかりのあなたに、こんな話は酷だわね。でも……少し落ち着いたら、ちゃんと話し合いましょう? 橘のお義父さまも、その件に関しては、あなたの希望を優先するって仰ってくださってるの」 祥悟は、のろのろと顔をあげて、里沙を見つめた。 ……橘のお義父さま……かよ。 胸の奥に、どす黒い感情が染みのように広がっていく。何がお義父さまだよ。名前で呼べばいいじゃないか。 「ふうん……。あの人、俺の好きにしていいって?」 「そうね。大賛成って訳じゃないけど……。祥悟ももう子供じゃないんだし、自分の生き方は自分で決めるべきだろうって。会社には充分貢献してくれたから、何かやりたいことがあるなら、いくらでも力を貸すって言ってくださってるわ」 ……力を貸す‍? あの人が俺に? 俺のやりたいことに‍?……バカバカしい。そんなことありえないだろ。 祥悟は顔には出さないようにしながら、内心毒づいた。 無表情になって黙り込んでしまった祥悟に、里沙は気遣わしげに微笑んで 「とにかく。今はまだいいわ。このことはまた後で、ゆっくり話し合いましょう。もう少し眠りなさい、祥」 祥悟は里沙の顔を眩しそうに見つめて 「……仕事……。今日の仕事。どーすんの? キャンセル‍? ……違約金発生しちまうんだろ?」 里沙は祥悟の手をぽんぽんと撫でると 「大丈夫。心配しないで。それは私とマネージャーで調整するから。今は何も考えずにゆっくり寝て、体調を戻しましょう、ね‍?」 ……あーあ。おまえ、俺に甘すぎ。もっと怒ればいいのにさ。いつだって、そうやって……。 里沙に優しく手を撫でられながら、祥悟はそっと目を閉じた。薬のせいか、全身が重怠い。 罪悪感にちくちくと痛む心。 複雑に絡み合う、義父と里沙への想い。 やがて祥悟は、引き込まれるように、夢の世界に沈んでいった。

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