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迷い月4
訪問先の打ち合わせで出た変更点を各業者に連絡し、佐武のアドバイスを参考に、瀧田邸に持って行く資料を揃えていると、時間は飛ぶように過ぎていく。
午後3時をまわって、さすがに目が痛くなってきて、雅紀はパソコンの電源を落とし立ち上がると、休憩所の喫煙スペースに向かった。
煙草に、ちょっと迷ってライターで火をつけ、ポケットからスマホを取り出す。さっきブルブル震えたのは、やっぱり暁からの返信だった。いそいそとラインのあきらのページを開くと
―了解。遅くなっても大丈夫だ
―終わったら連絡よこしな
暁の声が聞こえてくる気がして、雅紀は読みながら思わず微笑んだ。
午後5時予定の訪問先は、車で40分ほどかかる場所だ。部長は直帰でいいと言ったが、最寄り駅からかなり離れているので、電車より社用車で行った方がいいだろう。
挨拶だけで済めば、すぐに会社に戻って来れるが、打ち合わせが入れば、何時になるか分からない。
―午後5時にアポがあるので
―訪問先を出る時にまた連絡します
暁にラインしてからスマホを閉じ、ポケットにしまうと、もう1本煙草をゆっくり吸ってから、自分の席に戻った。
余裕を見て1時間前に会社を出発し、先方に着いたのは約束の30分前だった。場所だけ確認して、近くのコンビニに行き、予備の煙草を買ってトイレを借りる。
遅れていくのは言語道断だが、あまり早すぎても先方の都合があるだろう。
トイレの鏡でネクタイの曲がりをチェックしてから、自分の顔を見て、ちょっとゲンナリした。
目の隈はさすがになくなったが、頬が不自然に痩けているのは隠しようがない。
もともと女顔というか、男らしさに欠ける顔立ちが、線が細くなって、ますますなよなよしてしまったようで、鏡を見るたびに軽く凹む。
……暁さんみたいに、キリっとした男らしい顔に生まれたかったなぁ…。
考えても仕方ないことをつらつら思いながら、コンビニを出て車に戻り、持っていく資料を見ながら少し時間を潰した。
約束の15分前に、門の外のインターホンを押した。
「はい」
「すみません。17時にお約束しております、アール企画の篠宮です」
「ああ。今開けます」
低い男性の声がそう答え、ほどなく門が自動で開いた。
……セカンドハウスって言ってたけど、凄い豪邸だよな…。
有名な建築家の監修と聞いていたが、たしかに斬新なデザインだった。ひなびた周りの景観に溶け込むように、一見ログハウス風だが、遊び心が随所に見られて、かなり面白い印象の建物だ。
門を通り抜け、玄関らしきものをキョロキョロと探すが、あるべき場所には見当たらない。雅紀が戸惑っていると、頭上から声が降ってきた。
「篠宮くん、でしたね。その脇の階段をあがってきて下さい」
見上げると、ルーフバルコニーから声の主が自分を見下ろしていた。雅紀は慌てて会釈すると、彼の指し示す方向に向かい、アール型の階段をあがって、ようやく彼の所に辿り着いた。
「おかしな建物でしょう?初めて来た客は、大抵が庭で迷子になりますよ」
そう言って、楽しそうに笑う男性が、どうやら瀧田氏本人らしい。雅紀はあたふたと名刺を取り出すと、彼に歩み寄って
「すみません。お手数おかけしました。アール企画の篠宮雅紀と申します」
瀧田は名刺を受け取り、何故か名刺ではなく雅紀の顔を、しげしげと見つめ
「なるほど。君が篠宮雅紀くんですか。たしかに綺麗な子だ。よろしく。瀧田総一です」
名刺の代わりに手を差し出され、雅紀も戸惑いながら手を出した。その手をぎゅっと握ったまま、瀧田はバルコニーの奥に歩き出す。
「え?あの…」
引っ張られる形で、雅紀も呆然としながら歩き出した。
瀧田はバルコニーの奥にある大きな扉を開けると、ようやく手を離し、今度は雅紀の背中に手を回して、押し出すようにして、先に雅紀を中に入れた。すぐに後から入ってきて、扉を閉める。
中に入って雅紀は、更に呆然としていた。
そこには予想していたものは何もなく、約40畳ほどの広い板敷のフロアが広がっているだけだった。
「驚きましたか?柱も何もないでしょう?この建物は外観はログハウスですけど、骨組みは鉄筋なんですよ」
瀧田の言葉に、雅紀は改めてフロア全体を見回し、振り返って、微笑む瀧田の顔を見つめた。
瀧田邸を後にして、雅紀はまだぼんやりとした頭のまま、車を走らせていた。
……金持ちの考えることって……俺にはさっぱり分からないな……。
2階の何もないフロアに唖然とさせられた後、脇の隠しエレベーターで1階に降りると、リビングらしき部屋に連れて行かれた。
まだ家具や調度品はないが、広げればキングサイズになるだろう大きさの、ソファーベッドがドンっと中央に置かれていた。
瀧田は雅紀に座るように言って、続き間のダイニングを通り抜け、奥のキッチンに消えた。
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