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第25章 月のない夜に1
「ちょうど入れ違いでしたよ」
脱いだ上着を受け取って、瀧田はそれをクローゼットのハンガーにかけると、ソファーに戻ってきて話しかけた。
「ああ。さっき、門を出て行くところを見かけたよ。彼の方は気づかなかったようだがね」
「あっさり帰さずに、捕まえておいた方がよかった?」
瀧田の差し出すグラスを受け取り、ぐいっと煽ると
「構わんさ。どうせ明日には、ゆっくり会える。招待状は渡してくれたんだろう?」
瀧田はふ…っと笑って、
「もちろん。まわりにも根回ししておきましたよ。おっしゃる通り、綺麗な子でしたね。素直そうで。あの子、僕も気に入ったな。でもちょっと痩せすぎなのが残念」
「痩せたのはあの男のせいだろう。可哀想に。まあ、手は回してある。もう近寄らせないよ」
「それがいいですね。ところで、約束のご褒美。僕の趣味にも付き合ってもらいますよ」
「わかっている。その為にここに呼ぶんだからな」
瀧田は自分のグラスを目の前にかざし、にっこり微笑んだ。
「ふーん……仕事の話は一切なし、か…」
「はい。せっかくアドバイス頂いたのに、資料を出す暇もなくて…」
しょんぼり肩を落とす雅紀に、佐武は笑いながら
「それは気にしなくていいよ。挨拶ってことだったから、使わない可能性も想定していたよ。とりあえず、次の約束を貰えたんなら、上出来だろう。課長も機嫌よかったしね」
雅紀はふぅ…っとため息をこぼし
「なんていうか……かなり強烈な人ですね……瀧田氏って」
雅紀の言葉に、佐武は身を乗り出した。
「噂通りの変わり者か?」
「うーん……まだ分かんないですけど」
「前に別の部署のヤツが、少し関わったことがあるらしいけどね、気難しくて気分屋で、結局、次には繋がらなかったようだよ」
雅紀は頭を抱えた。
「うわぁ……。俺、ますます自信なくなってきた」
「いや。お前は少なくとも、会って貰えたんだ。しかも夕食に招待されたんだろう?かなり見込みあると思うけどな」
「そう……なんですかね……?」
「そのセカンドハウスって、俺も興味あるけど、見に行ったらダメなんだってな。部長と課長と担当のお前以外には、情報公開は厳禁なんだろう?」
「そうなんですよ。帰り際に俺も、直接本人から念を押されました。写真撮影も一切ダメだそうです」
佐武はちょっと眉をひそめ
「うーん……写真もダメか。それは……面倒だな」
「趣味の為の秘密の隠れ家だそうです。何の趣味かは教えてくれませんでしたけど…」
佐武は首をすくめて
「金持ちの考えることは、我々庶民にはさっぱりだね」
「それ、俺も思いましたよ。この仕事やってると、そう感じることって多いですよね」
「だなあ。うちに内装だのインテリア注文してくるのは、大抵が趣味で家建てるような連中だからね。……さてと。そろそろ俺は帰るよ。お前まだやっていくの?」
「や、俺もこれ書き終えたら帰ります。ちょっと疲れたし…」
「病み上がりだからな。最初から飛ばすとバテるよ。早く帰って、彼女に癒してもらいなさい」
佐武は意味ありげに片目をつぶった。雅紀は顔を赤くして
「や。彼女なんて…っ」
もごもご言ってる雅紀に手を振ると、佐武はさっさと鞄をつかんで事務所を出て行った。
雅紀はポケットからスマホを取り出し、ラインを開いて
―仕事。終わりました。
―どこで待ってたらいいですか?
暁にメッセージを送信する。すぐに既読がついて
―今、朝おまえを降ろしたとこにいるよ
―早くおいで
雅紀は目を見開き、書いた書類を慌ててファイルに仕舞うと、バタバタと机を片付けて、すれ違う人に挨拶しながら事務所を飛び出した。
大通りに出ると、見慣れた車が見えた。雅紀は小走りになりながら車に向かい、急に出てきた男性とぶつかりそうになって、慌てて避けた。
「あっ…すいません」
相手は物も言わずに足早に歩き去る。雅紀は違和感を感じてちょっと首を傾げ、すぐに思い直して、車に向かった。
「暁さんっ」
助手席の窓をコンコンとすると、暁はすぐにドアを開けて
「ドジ~。見てたぞ。危うくぶつかるところだったじゃん」
雅紀はいそいそと助手席に乗り込むと、にやにやしてる暁に口を尖らせ
「や、あれはあっちが急に、飛び出したんだし」
「んーわかったわかった」
「む。その言い方むかつく」
「怒んなよ、可愛いから。お帰り。お疲れ、雅紀」
雅紀は目だけで周りの人の有無を素早く確認すると、暁にかすめるだけのキスをした。暁は目を見開き、ますますにやけて
「おっ。大胆。どした?俺と離れてて、そんなに寂しかったのかよ」
「…った、ただいまのキス、しただけです」
暁は、手を伸ばして雅紀の頭をわしわし撫でて
「そっかそっか。抱き締めて、頭撫でて、キスする約束だったもんな~」
「そんな約束してないしっ」
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