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月のない夜に2
「んじゃ。荷物取りに行きますか~。雅紀、駅に着いたらさ、ナビよろしく。住所で大体の場所は見当つくけど、あの辺って道こちゃこちゃしてるし、一通多いだろ」
暁にかき回された髪の毛を、膨れっ面で直していた雅紀は、暁の顔を見て
「もしかしてあの辺、行ったことあります?」
「ん。前に仕事でな。多分おまえのアパートのご近所」
「へぇ……。じゃあもっと前に、ニアミスしてたかもしれないんだ…」
「そうだな。でもあの日、俺んちの近くで出会えたのは、運命の赤い糸のおかげ、な」
小指を突きだし笑う暁に、雅紀はじわじわと頬を赤く染めて
「うわぁ……。運命の赤い糸とか、言っちゃうんだ……。暁さん……結構、乙女…」
「乙女って何だよ。ロマンティストと呼びたまえ」
くすくす笑う雅紀の額に、軽くデコピンすると、暁は車をスタートさせた。
アパートの脇に車を停め、顔を強ばらせている雅紀に、安心させるように微笑んで
「んな顔すんなよ。大丈夫、俺がついてるから」
「うん…」
コクリと頷く雅紀を促して車を降りると、寄り添って階段に向かう。
雅紀の部屋は3階の角部屋だった。緊張した面持ちで鍵を開ける雅紀の後ろに立ち、暁はさりげなく周囲を見回した。
玄関に入ると、すぐに鍵をかけ、電気を点けて、恐る恐る奥の部屋を見ている雅紀の肩をポンと叩き、
「何かおかしかったらすぐ言えよ」
雅紀は声もなく頷いて、靴を脱ぐと、おっかなびっくり奥の部屋のドアを開け、電気をつけた。
「あっ……!」
「どうしたっ」
トイレや風呂場を開けて中をのぞきこんでいた暁は、雅紀の声に慌てて飛んで行った。雅紀は部屋の入り口で固まったまま、口を押さえている。
「なに?荒らされてるか?」
雅紀は青ざめた顔で振り返ると、手をあげ、震える指で、部屋の奥のベッドを指差した。
部屋は荒らされた様子はなく、綺麗に片付いている。雅紀の指差すベッドも乱れた様子はない。
ただ、綺麗に敷かれた布団の上に、50本はありそうな赤い薔薇の花束が置いてあった。
暁は眉をひそめ、中に足を踏み出そうとして、ふいにがくっと膝を折った雅紀の身体を慌てて支えた。へたりこみそうになる雅紀をしっかり抱きとめる。
……不法侵入かよ。悪質だな。うちのおんぼろアパートと違って、ここはオートロックだぞ。どうやって入った?
「雅紀。落ち着け。他に何か変わったもんあるか?」
怯えさせないように静かに問いかけると、腕の中の雅紀は震えながら首を振り
「あき……らさ……っもう出よっ」
「おまえ、ここにいな。スーツとワイシャツとネクタイだろ?俺が適当に取ってくるから」
「でもっ」
怯える雅紀を部屋の入り口の壁に凭れさせ、暁はまず奥のベッドに向かった。
花束は置かれてから何日か経っているのか、かなり萎れている。
ベランダへ出るサッシは、鍵がきちんとかかっていた。
暁はクローゼットを慎重に開けた。もちろん人など潜んではいない。パッと見は異常ないようだ。何か持っていかれているとしたら、暁には分からないが。
ハンガーにかけられたスーツを取り出し、振り返って雅紀に見せる。雅紀は青ざめたままで、コクコクと頷いた。ワイシャツも数枚取り出し、ネクタイも数本取ると
「普段着や下着は?」
「ううん。足りなければ買うからいいです。もう出よう……暁さん…」
「了解。んじゃ出るぞ」
荷物をまとめて片手で持ち、雅紀の肩を抱いて、そのまま玄関に向かった。外に出て、ドアの鍵がかかったことを確認する。
もつれる雅紀の足元を気遣いながら、ほとんど抱えるようにして階段をおり、すぐさま助手席に雅紀を乗せた。
不安そうな雅紀の手をぎゅっと握り
「雅紀、とりあえずここから離れるからな」
ドアを閉め、運転席に乗り込み、車をスタートさせる。雅紀は震えながら口を押さえていた。
しばらく車を走らせて、コンビニを見かけて、駐車場に車を停めた。雅紀は顔をあげ、不安そうにあたりを見回す。
「コンビニだよ。コーヒーか何か買って来るか?」
雅紀は無言で首を振った。暁は、ポケットから煙草を取り出し、マッチで火をつけると、窓を少し開けた。
車内に重苦しい沈黙が続く。暁は煙草の煙を、ため息と共に外に吐き出した。
雅紀に、いろいろと問い質したいこともあるのだが、酷いショックを受けているのに、今すぐ追い討ちをかけるような質問を、する気にはなれなかった。
……人ん家に勝手に入って、何か盗むんじゃなくて、薔薇の花束置いてくとか。気持ち悪過ぎだろ。どんな女だよ?素敵なプレゼントでもした気分になってんのか?……ったく…。ま、ストーカーやってる時点で、普通の神経じゃねえんだろうけどな……。
「夜飯どうする?何か食いに行くか?」
雅紀は顔をあげ、暁を見つめて首を横に振り
「暁さんのアパートに……帰りたい、です」
「ん……。了解。じゃ帰るぞ」
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