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番外編『愛すべき贈り物』109
橘は、祥悟の全身をまじまじと見つめてから
「……たしかにな。それは私も考えていたことだ。そろそろおまえ達の売り方にも、別の戦略が必要になるだろう、とね」
祥悟はほっとしたように頷いて
「里沙にとっても、その方がいいでしょ。だから……」
「……分かった。どこか利便性の良いマンションを探してみよう。おまえにもプライベートを楽しむ時間は必要だしな。ただし、羽目は外すなよ。この業界には悪い誘惑も多い。付き合う友人知人には充分気をつけろ。バカげたスキャンダルの尻拭いはご免だぞ」
祥悟は苦笑して首を竦め
「肝に銘じますよ。お義父さん。認めてくださってありがとうございます」
「……お義父さん……か。里沙にはこのことを相談したのか?」
「いえ。まだ何も。あいつに言ったら、そんな必要ないってごねられそうなんで。きちんと決まってから話すつもりです」
橘は、何故かちょっと厳しい表情になって
「里沙と……何かあったのか?」
祥悟は内心どきっとしたが、素知らぬ顔で首を傾げ
「何かって……なんですか?」
橘は探るような目で、物言いたげに祥悟を見つめている。
「別に喧嘩したわけじゃないですよ。別居する理由は。もう子供じゃないんだし」
橘の意味ありげな沈黙にうんざりしてきて、祥悟は苦笑しながら首を竦めた。
里沙と何かあったのか? と問いたいのは自分の方だ。
あの日……里沙はこの男に自分の気持ちを打ち明けたんだろうか。だとしたら、この男は里沙に何と答えたのだろう。
全ては自分の邪推に過ぎない。養女である里沙の立場を考えたら、うかつなことは聞けない。
「話はそれだけか? 私はこれから出掛ける予定があるが」
「ええ。許可して頂いてありがとうございました。お時間取らせてすみません」
祥悟は言いたいことを飲み込むと、橘に一礼して部屋を出た。
里沙をこの家に置いていくことに、一抹の不安があるが、橘は浮ついた噂が全くない男だ。5歳年下の妻との間に子供はいないが、妻を大切にしているというのは、一緒に暮らしていれば分かる。例え里沙が、想いを打ち明けても、間違いは起こさないだろう。
自分は逃げるのだ。里沙から。里沙を好きになり過ぎている自分から。そうしなければ、いつかきっと、自分が里沙を不幸にする。誰よりも幸せになって欲しい大切な人を……。
それから1ヶ月後、引っ越しの準備も整えて、いよいよ家を出るという当日の朝、里沙にそのことを告げた。里沙は当然だがひどく驚き、ショックを受けて目に涙を浮かべて文句を言ったが、祥悟の決意が固いことを知ると、諦めて泣く泣く引っ越しの手伝いをしてくれた。
祥悟は内心の後ろめたさを隠して、自分も泊まりたいと無邪気に駄々をこねる姉を、やっとの思いで新居から追い返すと、夕方ようやく1人になって、がらんとした自分の初めての城で、ぼんやりと里沙のことを思った。ずっと側にいて、その幸せを見守りたかった美しい姉。彼女の幸せの為にも、もう側には居られないのだ。
……この想いは封印するんだ。胸の奥の奥に閉じ込めて、決して里沙に悟られてはいけない。
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