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第26章 月下の宴1
顔をあげた雅紀に、瀧田はにこやかな笑みを浮かべ
「ああ。なかなかいいですね。イメージ通りだ。……ちょっと失礼」
瀧田はそう言って雅紀のすぐ前に歩み寄ると、すいっと優雅な手つきで蝶ネクタイの曲がりを直し、一歩下がって上から下まで眺めると
「うん。いいでしょう。完璧です」
満足そうにひとりごちて、くるりと踵を返し、奥の扉へと歩き出した。雅紀はその後ろ姿をぼんやり見送りかけて、はっとして慌てて後を追う。
「あのっ。すみません。こんな高価なもの、ご用意頂いて…」
「いえ。オーダーメイドできちんと誂えたかったんですが、まあ、今日のところはそれでいいでしょう。さあ、どうぞ」
瀧田は重たい扉を厳かに開く。雅紀は中に足を踏み入れて、思わず息を飲んだ。
……え……何これ……え……?
昨日訪ねた時は、見事なほどに何もなかったフロアが、まるで魔法でもかけたように様変わりしていた。
突如目の前に出現した、映画のワンシーンのような光景に、雅紀は茫然と立ち尽くした。
「こちら、アペリティフでございます」
給仕の言葉に、雅紀は首を傾げ
「アペリ……?」
「アペリティフ。食前酒のことですよ」
はるか前方から、瀧田に穏やかに話しかけられて、雅紀は視線を給仕から瀧田に移し
「あ、食前酒…」
「そう。それはキール・インペリアル。シャンパンにフランボワーズリキュールを加えたカクテルです」
「あ、はい…」
場の雰囲気だけで、もはやキャパオーバーな雅紀は、瀧田の口から飛び出す言葉に、曖昧に相槌をうちながら、テーブルに置かれたグラスを見つめた。
「あまりお酒は強くないと、聞いてますからね。リキュールを多めにしています」
雅紀は再び瀧田の方を見て、少し顔を赤らめると
「お気遣い、ありがとうございます」
礼を言って、フルートグラスに手を伸ばした。
「そんなに固くならないでください。ここには君と私しかいないのですから」
……や、それは、無理ですっ。
雅紀は震える手でグラスを持ち上げて、心の中で突っ込みを入れていた。
足が沈みこみそうな、ふかふかの絨毯。どっしりとした刺繍入りのカーテンで仕切られた広間。ロイヤルブルーの高級そうなテーブルクロスに覆われたテーブルは、向かい合って座っているのに、相手との距離がありすぎる長さだ。しかも給仕が数人いる以外は、瀧田と2人きり。どうぞ緊張してくださいと言わんばかりの演出だった。
雅紀は曖昧に笑みを浮かべると、瀧田が優雅に持ち上げたグラスに合わせてグラスをかかげ、一口飲んで噎せた。慌ててナプキンで口を押さえる。
瀧田はその様子を楽しそうに見ながら、給仕に合図した。給仕たちは心得た様子で、前菜の皿を2人の前に運んでくる。
「篠宮くん。君は年齢よりも若く見られるでしょう」
ようやく呼吸を整えた雅紀は、皿を置いてくれた給仕に軽く頭をさげ、再び瀧田の方を見て
「あ、はい。私服だと大学生に間違われることもあります」
「でしょうね。その魅力的な大きな目のせいかな。整った顔立ちなのに、可愛らしく見えてしまいますね」
瀧田の言葉に、雅紀は面映ゆげに目を伏せた。若く見られるのも、可愛い顔と言われるのも慣れっこだが、仕事相手に面と向かって言われると、正直凹む。
「私の友人に、君のことをよく知っている男がいるのです。彼から君の話を聞かされて、前から1度会ってみたいと思っていたのですよ」
「あ……そうなんですか?あの……どなたでしょう?私が以前担当させて頂いたお客様でしょうか?」
雅紀の質問に瀧田は首を傾げ
「さあ……どうでしょう」
答えを濁し、にっこり笑うと
「さ。どうぞ召し上がれ。お口に合うといいのですが」
促され、ちょっと腑に落ちない気分のまま、雅紀はナイフとフォークを手に取った。
口当たりはいいが飲み慣れない酒に、少し酔ったのかもしれない。
食前酒の後、アルコール度数が低いから大丈夫だと、瀧田がすすめてくる酒を断りきれず、食事をしながら飲んでいた。
料理の味は正直よく分からなかった。食べ慣れないフランス料理のフルコースだったせいもあるが、緊張し過ぎていたせいもある。
その緊張を紛らわそうと、思ったより酒を飲み過ぎていたのかもしれない。
お客様に招待された食事会で、酔っ払ってしまうなんて大失態だ。
雅紀は妙にぐらつく頭を手で押さえながら、内心かなり焦っていた。
……とりあえず、洗面所を借りて少し酔いを冷まさないと……。
食事は既に終えている。トイレを借りても失礼にはならないだろう。雅紀は意を決して
「あの。瀧田さん。ちょっと…」
「うーん。その呼び方はなんだかよそよそしいですね。総一、と呼んでみてください」
「え?あ、はい?あの」
「総一。私の名前です」
「あ。それは存じ上げておりますが…」
「では、どうぞ」
……や……どうぞって……え?
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