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第28章 彷徨う心。遠い月1
スマホをベンチに放り出すと、暁は頭を抱え項垂れた。
雅紀からのお別れのメッセージに茫然自失していたが、だんだん冷静になってくると、どう考えても腑に落ちない。
直接会って顔を見て話をしなければ、納得出来るわけがない。
知り合って日も浅く、共に過ごした時間も短いが、雅紀が生真面目で不器用で、年のわりに義理堅い人間だということは知っているつもりだ。
あの内容が全て真実だとしても、ラインのメッセージだけで、一方的に別れを告げるような、そういう不実なことが出来る人間じゃない……と思いたい。
……なあ……雅紀。おまえが今夜、俺に話したかったことって……コレなのかよ……。
俺と一緒にいて、すごく幸せそうだったのって嘘か?
俺のこと、好きだって……あの涙も全部……嘘だったのかよ?
俺。騙されてただけか?
ゲイの男の痴話喧嘩に巻き込まれて、当て馬にされてただけか?
「は……はは……そりゃねーよ……。俺ひとり、浮かれてバカみてえじゃん…」
暁の独り言は、まだ少し肌寒い仙台の夜の空に、虚しく消えていった。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
目を開けると、瀧田の顔が目の前にあって、悪夢は続いているのだと、絶望が押し寄せてくる。
ぼんやりと無反応な雅紀に、瀧田は微笑み
「夕べは遅くまで遊んでいたから、まだ疲れているようですね。今、朝食の用意をさせています。もう少しゆっくりしていなさい」
そう言って、瀧田はベッドから起き上がり、薄い寝間着の上から雅紀の乳首を指で撫でた。
反射的にぴくっと震えた雅紀に、瀧田は満足そうに笑むと、更に指先で愛おしそうになぶりながら
「可愛いですね。もうこんなに尖ってきた。夕べの君は淫らで綺麗でしたよ。思い出しただけでもゾクゾクします。私の可愛いお人形さん。でも…君はやっぱりもう少し太った方が私好みですね。せっかく完璧な美しい顔をしているのに、その痩けた頬はいただけないな。きちんと朝食をとって、身体を綺麗に洗ってから、またたっぷり遊んであげますからね」
猫なで声で囁くと、ベッドから降りて、部屋を出て行った。
雅紀はその後ろ姿を目だけで追い、瀧田が姿を消すと、緊張をほどいて、ほう…っと吐息をもらした。
全身が気だるくて、少しも動きたくない。ものを考えることさえ億劫だった。
こんな悪夢は早く終わって欲しい。その為には、ここから逃げ出さないと。
でも……逃げるってどうやって?どこに逃げる?
夕べ雅紀に自慰を強要しながら、瀧田はこの屋敷には至るところに監視カメラがあると言っていた。もちろんこの部屋にも。それ以外にもこの部屋には、3台のビデオカメラが、いつでも撮影出来るように設置してあると。
夕べの自分の恥態は、全て撮られている。面と向かって脅されたわけではないが、自分が逃げればそのデータを何に使われるか分からない。
第一、もし自分が逃げたら、暁はどうなる?
瀧田も桐島も、自分が言うことをきくなら、暁には手を出さないと言っていた。逃げ出せば、暁に何をされるか分からない。
スマホは取り上げられている。暁に連絡を取る手段もない。
優しい暁を、あんな形で残酷に裏切った。
これ以上、自分のせいで暁が傷つかないようにすることが、自分に出来るせめてもの償いだろう。
このまま大人しく、瀧田のお人形になっているしかないのだ。
雅紀は微かに顔を歪めると、諦めたように目を閉じた。
夕べ、コンビニで買い込んだ酒を、ホテルで浴びるように飲んだ。期待した酔いはなかなか訪れず、悶々と時間をやり過ごし、いつの間にか眠ってしまったらしい。
目が覚めると、頭が割れるように痛い。暁は呻きながら身体を起こし、時計を見た。
今日の約束の時間までは、まだ余裕がある。とりあえずシャワーを浴びて、自分でも鼻をつまみたくなるような、この酒の臭いだけでも消さないと。
そう思っているのに、億劫で何もしたくない。
正直、仕事なんてどうでもよかった。
自分の傍らに、雅紀がいない。今日だけじゃない。これから先ずっと、雅紀はいないのだ。
他の男の元に行ってしまった。
あんなにも輝いてみえた世界が、今は完全に色褪せて虚ろだ。雅紀がいなくなった、それだけで。
「ひでえよ……雅紀。こんなに好きにさせといてさ。簡単にさようならとか……言うなよっ」
情けない声で、情けないことを言っている自覚はある。
だけど仕方ないだろう?
多分、初恋だった。ベタぼれだった。
ようやく巡り逢えた自分の半身だと思った。
こんな恋、もう2度と出来るわけがない。
未練がましいとは思いつつ、スマホを掴んでラインのページを見る。
メッセージは来ていない。
送ったメッセージに既読もついていない。
震える指で、雅紀に電話をかけてみる。
『……電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為…』
暁はスマホをベッドに投げ出して、頭をかきむしり、込み上げてくる嗚咽を噛み殺した。
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