132 / 369
愛よりいでて誰より愛(いと)し3
暁は、貴弘と睨み合いながら、だんだん切なくなってきた。
貴弘は以前会った時より、更にやつれて見えた。そして、自分を睨む目はともかく、雅紀に対しては、本気で心配し気遣う優しい目をしている。とても、狂った人間の目には見えない。
雅紀のさっきの言葉を思い出した。
『貴弘さんも苦しかったんだと思う』
雅紀はそう言った。
『……好きな相手が自分から逃げようとしている。何とか繋ぎとめたくて、こんなバカなことしちゃったんだと思う』
貴弘のやっていることは、決して許されることじゃない。雅紀の心を傷つけたことも、絶対に許せない。
けれど。そんなにも雅紀のことが好きなのか。自分のやっていることが、冷静に判断出来なくなるほど、それほどまで、雅紀への想いに執着してしまったのか。
もし、自分が貴弘の立場なら。
雅紀が他の男に惹かれ、自分から去っていこうとするのを、自分は冷静に見送ることが出来るだろうか……?
「雅紀。戻ってこい。お前は私が守ると言ったろう?その男に、お前は騙されているんだよ。私のところに戻ってきなさい」
手を伸ばし、優しい声で雅紀に話しかける。雅紀は暁の腕の中で、貴弘を見つめ、ぼろぼろと泣きながら首を横に振った。
「もう……やめて……貴弘さん……俺、貴弘さんのとこには……行けない……。っごめんなさいっ俺、俺は……暁さんのことが……好きなんです……っ」
貴弘は顔を歪め
「戻ってこいっ雅紀っ。お前を愛してやれるのは私だけだっ。お前だって私を愛しているはずだろうっ」
雅紀は嗚咽をもらし、首を横にふり続け
「……貴方のことは……。ごめんなさい、愛してませんっ。恋人だと思ったことは、一度も、なかった。最初からずっと……セフレとしか思ってなかった……です」
雅紀の口から、直接突きつけられた最後通告に、貴弘は目を見開き、口をつぐんだ。
暁は貴弘から目を逸らし、震えながら「ごめんなさい」と何度も呟いている雅紀を、ぎゅっと抱き締めた。
「貴弘。篠宮くんの気持ちはわかっただろう?……全てはお前の勘違いだったんだ。諦めなさい」
雅紀のすすり泣く声だけが聞こえる室内に、大胡の言葉が重々しく響く。
貴弘は茫然とした表情で父親を見上げ、もう一度、雅紀に視線を戻すと、何か言いかけて口を閉ざし、がっくりと項垂れた。
大胡に目配せされて、田澤が頷き、貴弘の身体を放して立ち上がる。
大胡は貴弘に歩み寄ると
「来なさい。居間に戻ろう。早瀬くん。重ね重ねすまない。話は後できちんとさせてもらうが、今はちょっとだけ時間をくれないか」
暁は、沈痛な面持ちの大胡に無言で頷いた。
「田澤、早瀬くんの怪我の手当てを頼む。さ、貴弘、立つんだ」
大胡に促され、貴弘はよろよろと立ち上がった。ドアの方に向かい、立ち止まって振り返る。
貴弘の目は、暁を通り越し真っ直ぐに雅紀を見ている。また何か言いたげに口を開き、雅紀の涙に濡れた顔を見て唇を震わせ、そのまま何も言わずに部屋を出て行った。
雅紀は暁にすがりつき、何度も貴弘への謝罪の言葉を口にする。暁は雅紀の頭をそっと撫でた。
「暁、まだ目眩はするか?」
田澤に小声で聞かれて、暁は首を振ると
「社長。悪いんですけど、桐島親子との話、今日のところは任せていいですか?これ以上、雅紀をここに居させたくない。俺のアパートに連れて行きます」
田澤は泣き崩れている雅紀を痛ましげに見やり
「ああ。それがいいだろう。分かった。後のことは俺が引き受ける。大胡さんとは、後日改めて話し合いの機会をつくろう。暁、車のキーは?」
「ありますよ。俺の車は?」
「門の外に停めたままになってる。使用人に言って門を開けさせよう」
「すみません。んじゃよろしく。な、雅紀、行こう。俺のアパートに帰ろう、な?」
雅紀はしゃくりあげながら頷き、暁に支えられてよろよろと歩き出した。
「そんなに泣くなって。お前、目が溶けちまうぞ~」
暁の車に乗り込み、瀧田のセカンドハウスを後にして、もう10分以上経つ。いつまでもすすり泣いている雅紀に、暁は弱り顔で
「ほら。泣き止むっ。目が兎だっつーの」
「暁…さん…痛かった、でしょ……大丈夫…?」
「へーきへーき。もう何ともないぜ。あ、ちょっとコンビニ寄るな。煙草きれちまった。お前の分も買うか?」
暁はウィンカーを出し、コンビニの駐車場に車を停めた。
「俺は、いいです……」
「んー。じゃ、なんか飲むか。ホットコーヒー買ってくるな」
頷く雅紀の頭をポンっとして、暁は車を降りて店の中に入った。
雅紀が不安にならないよう、店の中がよく見える位置に車を停めた。店に入ってからも、中から手を振り、自分がいることをアピールする。
雅紀は今、神経が参っていて、ちょっとしたことでも過敏になっているだろう。
暁はため息をついて、まだ痛む肩をそっと押さえた。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!